2024年07月04日
2-4 スパッと解決?
行動が鈍くなった母は、時折トイレに間に合わず、失禁することが増えた。
以前より尿もれパットは下着に装着していたが、それでは足りないくらいの量が出てしまうことがあるため、吸水量の多いそれに変えることにした。
母は大きくなったパットが気持ち悪いらしく嫌がっていたが、着けておいてもらわないと、私がいない時に漏れてしまうと大変なので、なだめつつ納得してもらった。
ある時トイレに入り蓋を開けると、そこに使用済の尿もれパットが!え?マジ?「これ、ここに捨てたの?」と母に聞くと「うちは捨てちょらん(九州弁)」と言う。
誰がどう見てもあなたしかいないでしょ!と言いたくなる気持ちをグッと堪え「誰だろうね~、こんな所に捨てたのは~?」と言うと「ほんなこつ、誰がこげなこつしたじゃろか(九州弁)」と母。
「ここに捨てたらトイレが詰まって大変なことになるよね~」と私。
「そうて!こまったこつばい!(九州弁)」と母。
「誰がしたかわかんないけど、サカエちゃんはそんなことしないもんね」と私。
「うん、うちゃそげなこたぁせん!(九州弁)」と母。
この会話で、母は尿もれパットをトイレに流してはいけないと悟ったらしく、それ以後は一度もトイレが詰まるようなことは無かった。
認知機能が衰えていても、してはいけないことを存在しえない他者に責任転嫁し、客観的に事実のみを知らせる、見せることで、母も落ち着いて事の次第を把握出来るのかもしれない?と、この時気付かされた。
それ以降、我が家では目に見えない何者かが居て、何か悪さをした時は、全てそれの責任とし、退治作戦を決行することとなった。

以前より尿もれパットは下着に装着していたが、それでは足りないくらいの量が出てしまうことがあるため、吸水量の多いそれに変えることにした。
母は大きくなったパットが気持ち悪いらしく嫌がっていたが、着けておいてもらわないと、私がいない時に漏れてしまうと大変なので、なだめつつ納得してもらった。
ある時トイレに入り蓋を開けると、そこに使用済の尿もれパットが!え?マジ?「これ、ここに捨てたの?」と母に聞くと「うちは捨てちょらん(九州弁)」と言う。
誰がどう見てもあなたしかいないでしょ!と言いたくなる気持ちをグッと堪え「誰だろうね~、こんな所に捨てたのは~?」と言うと「ほんなこつ、誰がこげなこつしたじゃろか(九州弁)」と母。
「ここに捨てたらトイレが詰まって大変なことになるよね~」と私。
「そうて!こまったこつばい!(九州弁)」と母。
「誰がしたかわかんないけど、サカエちゃんはそんなことしないもんね」と私。
「うん、うちゃそげなこたぁせん!(九州弁)」と母。
この会話で、母は尿もれパットをトイレに流してはいけないと悟ったらしく、それ以後は一度もトイレが詰まるようなことは無かった。
認知機能が衰えていても、してはいけないことを存在しえない他者に責任転嫁し、客観的に事実のみを知らせる、見せることで、母も落ち着いて事の次第を把握出来るのかもしれない?と、この時気付かされた。
それ以降、我が家では目に見えない何者かが居て、何か悪さをした時は、全てそれの責任とし、退治作戦を決行することとなった。

2024年07月03日
2-3 イケメンパワー!
介護認定が下りたことにより、ヨガ運動療法を受けることになったが、内弁慶の母は「うちはそんな所には行かん!!」と、頭から反対モード全開だった。
このままずっと家にいるだけじゃ歩けなくなるし、昼間は私もいないから心配だし…と、あれこれ話してもなかなか首を縦に振らない。それならば「施設で一緒に体験レッスンを受けてみよう!」と提案すると「あんたが一緒なら行ってもいい」と母。
ケアマネージャーさんにお願いし、体験レッスンを受けさせてもらうことにした。
母と出向き、施設の説明などを受け、一緒にヨガ体操などを体験すると、私でさえ楽しい!と思えたので、ぜひ母にも通って欲しいと思った。
スタッフも高齢者の扱いに慣れており、緩慢な動きしか出来ない母に対して、満面の笑みで「サカエさん、良いですよ~、良く出来てますよ~、ぜひ一緒にやっていきましょう~!!」と声をかけてくださる。おだてに弱い母はまんざらでもないようで、体験レッスンが終わる頃にはニコニコでスタッフに手を振っていた。
帰宅し体験レッスンの感想を聞くと「楽しかった!」とのこと。それならこれから週2回、施設に通う?と聞くと「行く!」と言う。よっしゃ!と心の中でガッツポーズを決めた私はすぐさまケアマネージャーさんに連絡をし、手続きを進めてもらった。
運動施設への通所は週2回午前中だけだが、送迎もしてもらえるので、私も週2回テレワーク勤務とし、母を通所出来るようにした。
そして、レッスン初日。母だけが行くことになると告げると「あんたは一緒に行ってくれんのかい?」と不機嫌な母。一人じゃ心細い…ということなのだが…。
私は仕事があるから一緒に行けないし、もうお迎えが来るからと、母をなだめる。
ピンポーン!とチャイムが鳴ったので玄関へ。母はやはり行くのがイヤだと駄々をこね始めた。
困ったな~と思いながら、お迎えのスタッフの方へそのことを告げると「サカエさ~ん、お迎えに来ましたよ~」と、スタッフのお兄さんが笑顔で母を呼んでくれた。
すると母は「はーーい!!今行きま~~す❤️」だと!
おーーい!!!今の今まで駄々こねてたのは何だったんだよぉ~~~!!!と、私は心の中で叫んでいたが、機嫌良く行ってくれたので良しとすることにした。
それにしても、イケメン男性スタッフの威力たるや…。介護の世界もイケメン需要半端ない!!

※写真はイメージです(あしからず…)。
このままずっと家にいるだけじゃ歩けなくなるし、昼間は私もいないから心配だし…と、あれこれ話してもなかなか首を縦に振らない。それならば「施設で一緒に体験レッスンを受けてみよう!」と提案すると「あんたが一緒なら行ってもいい」と母。
ケアマネージャーさんにお願いし、体験レッスンを受けさせてもらうことにした。
母と出向き、施設の説明などを受け、一緒にヨガ体操などを体験すると、私でさえ楽しい!と思えたので、ぜひ母にも通って欲しいと思った。
スタッフも高齢者の扱いに慣れており、緩慢な動きしか出来ない母に対して、満面の笑みで「サカエさん、良いですよ~、良く出来てますよ~、ぜひ一緒にやっていきましょう~!!」と声をかけてくださる。おだてに弱い母はまんざらでもないようで、体験レッスンが終わる頃にはニコニコでスタッフに手を振っていた。
帰宅し体験レッスンの感想を聞くと「楽しかった!」とのこと。それならこれから週2回、施設に通う?と聞くと「行く!」と言う。よっしゃ!と心の中でガッツポーズを決めた私はすぐさまケアマネージャーさんに連絡をし、手続きを進めてもらった。
運動施設への通所は週2回午前中だけだが、送迎もしてもらえるので、私も週2回テレワーク勤務とし、母を通所出来るようにした。
そして、レッスン初日。母だけが行くことになると告げると「あんたは一緒に行ってくれんのかい?」と不機嫌な母。一人じゃ心細い…ということなのだが…。
私は仕事があるから一緒に行けないし、もうお迎えが来るからと、母をなだめる。
ピンポーン!とチャイムが鳴ったので玄関へ。母はやはり行くのがイヤだと駄々をこね始めた。
困ったな~と思いながら、お迎えのスタッフの方へそのことを告げると「サカエさ~ん、お迎えに来ましたよ~」と、スタッフのお兄さんが笑顔で母を呼んでくれた。
すると母は「はーーい!!今行きま~~す❤️」だと!
おーーい!!!今の今まで駄々こねてたのは何だったんだよぉ~~~!!!と、私は心の中で叫んでいたが、機嫌良く行ってくれたので良しとすることにした。
それにしても、イケメン男性スタッフの威力たるや…。介護の世界もイケメン需要半端ない!!

※写真はイメージです(あしからず…)。
2024年07月02日
2-2 面談あるある
在宅介護支援センターとの面談がセッティングされ、自宅にケアマネージャーさんが来られた。
父の時もそうだったが、母も他人が家に来ると聞くと急に張り切って身支度を整えだしたり、自分を良く見せようと画策し始める。
いや、そこはいつも通りグダグダでいてくれないと、まともな介護認定されないから!と話しても「人が来るのにシャンとせな!(九州弁)」と、なぜか全うになる母。
ケアマネージャーさんに「今日は何月何日ですか?」と聞かれると「あら~、何だったかね~?」とトボケて見せたり「昨日の夕飯は何を召し上がりましたか?」と聞かれると「何も食べちょらん!」と、なぜか私が夕飯を出さなかったことにされたり「廊下を歩いてみてください」と言われればイソイソと席を立ち「私歩けるわよ~」と自慢気に歩いてみせる。
ケアマネージャーさんもプロなので、無駄な張り切りを差し引いて査定してくださることは分かってはいるものの、同居する私にしてみればまさにトホホ…涙ちょちょぎれるばかりだ。
母は若干の認知の衰えはあるものの、会話はそれなりに成立するし、手すりを使えば伝え歩きも出来る。食欲もそこそこある(美味しいものしか食べないけど)ので、今後は足腰が弱らないよう、運動療法の施設に通ってはどうか?という提案があった。
申請から1か月もせず「要支援2」の判定が下りたので、提案通り、週2回ヨガを取り入れた運動施設に通うことにしたのだが、母がそれに納得するにあたりひと悶着起きないと前へ進まないのであった😓

父の時もそうだったが、母も他人が家に来ると聞くと急に張り切って身支度を整えだしたり、自分を良く見せようと画策し始める。
いや、そこはいつも通りグダグダでいてくれないと、まともな介護認定されないから!と話しても「人が来るのにシャンとせな!(九州弁)」と、なぜか全うになる母。
ケアマネージャーさんに「今日は何月何日ですか?」と聞かれると「あら~、何だったかね~?」とトボケて見せたり「昨日の夕飯は何を召し上がりましたか?」と聞かれると「何も食べちょらん!」と、なぜか私が夕飯を出さなかったことにされたり「廊下を歩いてみてください」と言われればイソイソと席を立ち「私歩けるわよ~」と自慢気に歩いてみせる。
ケアマネージャーさんもプロなので、無駄な張り切りを差し引いて査定してくださることは分かってはいるものの、同居する私にしてみればまさにトホホ…涙ちょちょぎれるばかりだ。
母は若干の認知の衰えはあるものの、会話はそれなりに成立するし、手すりを使えば伝え歩きも出来る。食欲もそこそこある(美味しいものしか食べないけど)ので、今後は足腰が弱らないよう、運動療法の施設に通ってはどうか?という提案があった。
申請から1か月もせず「要支援2」の判定が下りたので、提案通り、週2回ヨガを取り入れた運動施設に通うことにしたのだが、母がそれに納得するにあたりひと悶着起きないと前へ進まないのであった😓

2024年07月01日
2-1 行政の門を叩く
2019年3月(母88歳)に、行政に相談すべく近所の在宅介護支援センターに出向いた。
まずは介護相談窓口を見付けることから始まるわけだが、役所のホームページで探すと「在宅介護支援センター」なるものがあることを知った。
そう!探したい情報は自ら探しに行かないと見つからない!ということを学んだ。
ということは、私達の知らないあんなことや、こんなこと、損してること?などが多くあるのかもしれない。
私が相談に行ったセンターは特養併設の介護施設で、そこのケアマネジャーが担当してくれた。
担当者より「今日は何のご相談ですか?して欲しいことなどありますか?」と聞かれたので「どんなサービスがあるか分からないから聞きに来たんですけど…」と話すと「そうですよね…」と担当者も苦笑い。
まずは母の心身の状態、介護をする私の生活環境などを聞き取ってくださり、その後母の面談をし、介護申請をすることになった。
センター窓口、自宅面談も、私が仕事の休みである土曜日にセッティングしてくれたのでとても助かった。仕事を持つ者が行政に相談に行くにあたり、平日に休みを取るというのは結構ハードルが高く、休日を利用して介護準備が出来ることはありがたいことだった。

まずは介護相談窓口を見付けることから始まるわけだが、役所のホームページで探すと「在宅介護支援センター」なるものがあることを知った。
そう!探したい情報は自ら探しに行かないと見つからない!ということを学んだ。
ということは、私達の知らないあんなことや、こんなこと、損してること?などが多くあるのかもしれない。
私が相談に行ったセンターは特養併設の介護施設で、そこのケアマネジャーが担当してくれた。
担当者より「今日は何のご相談ですか?して欲しいことなどありますか?」と聞かれたので「どんなサービスがあるか分からないから聞きに来たんですけど…」と話すと「そうですよね…」と担当者も苦笑い。
まずは母の心身の状態、介護をする私の生活環境などを聞き取ってくださり、その後母の面談をし、介護申請をすることになった。
センター窓口、自宅面談も、私が仕事の休みである土曜日にセッティングしてくれたのでとても助かった。仕事を持つ者が行政に相談に行くにあたり、平日に休みを取るというのは結構ハードルが高く、休日を利用して介護準備が出来ることはありがたいことだった。

2024年06月30日
1-25 Chapter1の振り返り
母の介護第1段階である、83~87歳までにあった主な出来事を書いてきた。
83歳で夫を見送り、これまで出来なかった家族との旅行や団らんを楽しんだ。幼少期の不遇を取り戻すべく?母にとって新たな青春の日々だったのではないだろうか。
87歳でバリアフリーの家に引っ越し、新たな環境に慣れるべく母なりに苦心の日々が続くなか、身体の衰えは日ごとに増していき、車いすのお世話になるようになった。それに伴い、お風呂やトイレの介助も発生したが、私は「衰え」ではなく「子供に還る」と捉え、対応することにした。
母が「赤ちゃんに還る」=「最期を迎える」。安心してその時がくることを念頭に置いた。
ネガティブ思考の母をどうやったら笑顔に出来るか?元気付けられるか?それは私にとって大きな課題であったが、自分が子供の頃に母にしてもらったように「嬉しい」と思えることを心がけるようにしたことで、少しずつ笑顔が増えてきたし、母が本来持つ天然要素も顔を出し始め、気付けば毎日大笑いするようにもなった。
怒りたくなるような場面でも、それを如何に笑いに転換できるか?笑えないなら、意地でも笑ってやる!と、私は常に自分と闘っていた。
とはいえ、一番キツかったのは母本人だ。自分で自分の身がままならず、この先どうなっていくのだろう?という不安は私より勝っていただろう。
そんな母もいよいよ介護認定を申請することになる。
明日からは第2章として、88歳(2019)~91歳(2022)に入る。
もしかすると、思い出して第1章の追加あるかも…。

83歳で夫を見送り、これまで出来なかった家族との旅行や団らんを楽しんだ。幼少期の不遇を取り戻すべく?母にとって新たな青春の日々だったのではないだろうか。
87歳でバリアフリーの家に引っ越し、新たな環境に慣れるべく母なりに苦心の日々が続くなか、身体の衰えは日ごとに増していき、車いすのお世話になるようになった。それに伴い、お風呂やトイレの介助も発生したが、私は「衰え」ではなく「子供に還る」と捉え、対応することにした。
母が「赤ちゃんに還る」=「最期を迎える」。安心してその時がくることを念頭に置いた。
ネガティブ思考の母をどうやったら笑顔に出来るか?元気付けられるか?それは私にとって大きな課題であったが、自分が子供の頃に母にしてもらったように「嬉しい」と思えることを心がけるようにしたことで、少しずつ笑顔が増えてきたし、母が本来持つ天然要素も顔を出し始め、気付けば毎日大笑いするようにもなった。
怒りたくなるような場面でも、それを如何に笑いに転換できるか?笑えないなら、意地でも笑ってやる!と、私は常に自分と闘っていた。
とはいえ、一番キツかったのは母本人だ。自分で自分の身がままならず、この先どうなっていくのだろう?という不安は私より勝っていただろう。
そんな母もいよいよ介護認定を申請することになる。
明日からは第2章として、88歳(2019)~91歳(2022)に入る。
もしかすると、思い出して第1章の追加あるかも…。









