2024年06月

2024年06月25日

1-20 これも未知との遭遇?

新居に引っ越してから、家のサイズに合わせて家電を買い替えた。
洗濯機についてはドラム式乾燥機付きのものにしたのだが、これまでと違い操作ボタンがタッチパネル式になった。
以前は洗濯機のボタンを強く押しても1回分として認識されたが、タッチパネルだと強く押すと1周回ってoffになってしまったりするし、触ったつもりがなくても知らぬ間に指が触れて、作動中のそれが止まったるすることもある。

昭和時代の家電は強くボタンを押さないと作動しないものが多かったので、それに慣れてる母は、タッチパネルの恐怖に怯えてか?「何もしちょらんのに消えた~(九州弁)」と、良く言っていた。
母が洗濯機を操作することはないのだが、ドラム式は扉から中の状態が伺えるので、それが面白くて見ていることがあり、知らぬ間に指が触れて消えていたようだ。

IHコンロについては、これまでガスコンロしか使ったことのない母には未知の代物であり、私が操作するのをいつも横で恐々眺めていた。何度か使い方を教えたが、一度も操作したことはない。

ある日、調理が終わった直後に、ジュッ!と鈍い音を立て、焦げ臭さが部屋に広がった。
その方向を見ると、時既に遅し…母が化学雑巾を手にしていた。気を利かせて調理後のコンロをキレイにしようと思ったようだ。
IHコンロには雑巾のケバケバが無数付いており、拭いても簡単には落ちなかった。

母には「気持ちは嬉しいけど、こういうことになるから、これからはすぐには拭かなくて良いよ」と伝えた。母なりに出来ることを手伝いたいと思っていたのに、裏目に出てしまい、かわいそうなことをしたが、調理後のコンロは熱いし、やけどでもしたらそれこそ大事なので、それも含め説明をした。

トイレについても温水洗浄機付きだったので、使い方を教えたものの、やはり何度か「どうすればこうなる?」的な使い方をしていた。それも慣れるまで、何度も教え続けた。

87歳になって新たな家電との遭遇に四苦八苦する母であった。

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※写真左側にある洗濯機と格闘した?日々だった。

2024年06月24日

1-19 ありがたいご縁1

2017年6月以降、我が家の引っ越し作戦が始まった。
母の体調を考慮し、1階でバリアフリー、築浅の物件を探した。

年内にこれ!という物件は見つからず、2018年を迎えてもなかなか決めきれずにいたが、これまで住んでいた家の更新時期のこともあり、5月末までには何とか決めたいと時間の許す限り物件探しに奔走した。

GW中に探していた中で、それまでの家から車で5分ほどの距離に理想の物件が見つかった。姉の家とは少し遠くなるが、それとて自転車で行き来出来る距離なので許容範囲内だ。

既に家は空いており、いつでも入居出来るのだが、これまでの家の不用品の片付けや引越準備を考えると3週間は必要なことが分かった。不動産屋に交渉し、何とか6月頭に入居できることになった。

これまで2階建ての家におり、両親と私の荷物、家具など、取捨選択するものは山のようにあるし、不要な物は心を鬼にして処分しなければならない。
物を大切にする世代の母にしてみれば、どれもこれも思い出の宿ったものばかりで、捨てて良いか聞くと全てにNO!と返ってくるので、こっそりあれこれ処分した。

近所に住む姉にも毎週末来てもらい、作業を手伝ったり、欲しいものを持って行ってもらったり、引越当日も、夫婦揃って手伝ってくれた。

結果的に段ボール箱が50箱以上、家具、家電も処分してもそれなりの数があり、果たして新しい家に入り切るのだろうか?と思案するばかりだった。その予感は的中で、その日は段ボールの山に埋もれ、私は廊下で寝るハメになった。

それでも、1階でバリアフリーの家は快適だ。しかも、2階には大家さんがお住まいなのだが、もともと1階は大家さんのお母さんが住むためにバリアフリーの家に建て替えた物件で、築3年しか経っておらず、キレイなうえ、IHコンロや床暖房、温水洗浄トイレ、お風呂の床もほっカラリといった素敵な設備が充実していた。

残念ながら大家さんのお母さまはその家に住む前に天に召されたそうだが、私が母の介護のために借りたいという気持ちを汲んでくれ、貸してくださったのだ。何という巡り合わせ!!

内見時に、母もこの家を気に入ってくれたことが借りる決め手にもなったので、審査が無事に通った時は、本当にホッとした。

こうして、新居で本格的な母の介護が始まった。

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※新居の廊下で手すりに掴まりながら青竹踏みをする母。



2024年06月23日

1-18 天へ還った父

2017年6月で父が亡くなって丸3年が経った。
父は下手の横好き?で植木いじりが好きだった。独学でと言えば聞こえは良いが、好き勝手にあちこちから石を拾ってきては、何かの植物の根っこを植え付け育てていた。

そんな中の一つに、軽石に蘭を根付かせたことがある。茎は出たものの、何年経っても花が咲くことはなく、屋外に放置のままだった。そんな蘭に蕾が付いたのは、5月のことだ。最初は一輪だったものが、次々に開花したのだから、まさに奇跡!?だ。

そんな折、父が朝方夢に出てきた。
「これまで引っ越さずにいてくれてありがとう。もう行くからいつ引っ越しても良いよ」と。

この当時我が家は2階建てのテラスハウスに住んでいたが、寝室が2階にあり、足元が不自由になった母が2階に上がるのが厳しくなっていたため、引っ越しを考えていたが、踏ん切りが付かずにいた。

そんな時、父が夢に出てきたのと、放置状態で何の手入れもしなかった蘭が咲いたことで、これで父も安心してあちらの世界に還るのだな…と得心した。

父の3年祭を終えた後、本格的に引っ越しに向けた準備を始めることとなった。

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※父が拾ってきた軽石に根付かせた蘭。

余談:食いしん坊の父は亡くなってからもしょっちゅう夢に出てきては「あれが食べたい、これが食べたい!」とご所望だったので、その度に遺影に供えていた。亡くなって1年ほどであまり出てこなくなり、3年目になるとほぼ出てこなくなっていたが、久しぶりに現れた父は、天国行きの切符を手にする前の修行を終えたからなのか?晴れ晴れとした顔で現れたのだった。
人は肉体を離れても魂は生き通しなので、父の魂が現れると生きている時同様に認識出来ていた。

2024年06月22日

1-17 最後の南の島

2018年3月に、母、兄夫婦と共に与論島を旅した。
母と私は羽田から、兄夫婦は福岡から出て那覇で落ち合い、そこから乗り継ぎで与論島を目指した。
昨年頃から足元がおぼつかない母は、空港で機内にもそのまま入れる木で出来た車いすを借りて搭乗した。

羽田や那覇空港は設備が整っているので、車いす搭乗もスムーズだが、与論島は機内からタラップで降りるので、スタッフの方々が数人がかりで母の乗降を助けてくださった。

空港近くのプリシアリゾートホテルを予約しており、足の悪い母のことを伝えると、バリアフリーの部屋を用意してくれた。ここもコテージ式なので、プライバシーが守られ、滞在にはうってつけだ。

与論島を選んだきっかけは兄が行ってみたいと話していたことから決まったのだが、母にしてみれば、普段離れて暮らす長男夫婦と旅出来ることは、それだけで言葉にならないほどの喜びだったろうと思う。

母の誕生日が3月ということもあり、今回はレストランでサプライズの準備をした。
夕陽の見えるホテルのレストランで夕食をいただき、タイミングを見てスタッフの方にバースデーケーキを出していただいた。「ハッピーバースデートゥユー♪」を皆で歌い、母の87歳の誕生日を祝った。
母は照れ臭そうにしていたが、何回かに分けてローソクの火を消した。

3日間の滞在だったが、お天気にも恵まれ、自然豊かな与論島を満喫出来た。
母と兄とツーショットで写真も撮り、親子水入らずの時も過ごせた。

母にとってこれが最後の南の島旅行となったが、空港、ホテル、観光地等々で多くの方々のお世話になり、無事に行くことが出来た、ありがたい、思い出深い旅となった。

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※ホテルで準備していただいたバースデーケーキ🎉


2024年06月21日

1-16 兆し

2017年8月には母と5人目の孫娘と私の3人で九州へ行き、長男夫婦と合流し、母の実家や北九州を旅した。今回は孫娘も一緒なので、母のテンションは更に高くなっていた。

母の足のことを考え、今回はバリアフリーの部屋を予約した。
地元の木材で建てられたホテルなので、部屋は木の香が漂い、要るだけで居心地が良い。
夕食も併設するレストランでフルコースを堪能した。野菜をふんだんに使っていて、美味しい食材を少量ずつ出してくれるので、母も完食出来た。

翌朝食事処で朝食を頂く際、味噌汁の入ったお椀を手にした母がそれを落としてしまった。
母は「あ…!」と呟いたまま固まってしまい、現状を把握出来ない様子。
ここは叱ってはいけない!と脳内センサーが反応し「大丈夫?ケガない?」と声をかけた。すると、母は「うん…」と言いながら項垂れてしまった。

ホテルの方に片付けていただく間にトイレへ連れていき、汚れた服や手を軽く洗い、また席に戻った。新しいお味噌汁をもらうか母に聞くと「要らない」と言う。落としてこぼしてしまったことがショックだったのだな…と思ったが、そこは見て見ぬ振りをし、他にも食べられるものはたくさんあるから…と、次の展開へ促した。

時間の経過と共に母も元気を取り戻していったが、これまで人前で粗相をしたことが無かったので、母にとってそれはかなりのショックだったようだ。

その後、私達は何事もなかったかのように、湯布院や豊後高田、宇佐神宮等を旅した。

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※ホテルでの朝食。右横にある味噌汁のお椀を落とした母だった。