2024年08月
2024年08月31日
3-6 かわいがられる人
2022年5月から特別養護老人ホームの入所が決まったため、4月29日で、約1年間お世話になった小規模多機能型居宅介護施設を卒業することになった。
この施設は少人数体制だったので、アットホームな雰囲気があり、いつ施設を訪ねてもほのぼのとした感があった。人見知りな傾向にある母も、周囲の方と打ち解けていたようで、安心してお任せすることが出来た。
ある日の帰宅時に、男性スタッフの方が「今日はサカエさんに肩をもんでもらいましたよ、嬉しかったな~」と言われた。それは一度ではなく、何度か同じことを言われた。
そういえば…少し前に疲れている私を見て母が「マッサージしてあげる」と言ってくれたことがあった。一度は断ったが母はやる気まんまんだったので、やってもらうことにした。すでに握力も弱いので、猫パンチにも劣る力加減でさすってくれた。
他のスタッフからも「いつもサカエさんにはありがとう!って言ってもらえるから、こちらもやりがいがありますよ」とか「あなたはうちの娘に似ている。娘と一緒にいるみたいで嬉しい」とか「手をさすってくれた」等々、施設での母の言動を報告いただいていた。
老いて周囲のお世話になるばかりであっても、自分の出来ること、感謝を伝えようとする姿勢が母に残っていることを思うと、ありがたいな…と思った。
人間は、理性の蓋が外れた時に本性が現れるというが、そういう意味での母は、周囲から可愛がられる人であったことを嬉しく思うし、自分もそうなりたいと思う。
老いて周囲から疎まれるのか?大事にされ可愛がられるのか?それは、老いる前の生き方にかかっていると思われてならない。

この施設は少人数体制だったので、アットホームな雰囲気があり、いつ施設を訪ねてもほのぼのとした感があった。人見知りな傾向にある母も、周囲の方と打ち解けていたようで、安心してお任せすることが出来た。
ある日の帰宅時に、男性スタッフの方が「今日はサカエさんに肩をもんでもらいましたよ、嬉しかったな~」と言われた。それは一度ではなく、何度か同じことを言われた。
そういえば…少し前に疲れている私を見て母が「マッサージしてあげる」と言ってくれたことがあった。一度は断ったが母はやる気まんまんだったので、やってもらうことにした。すでに握力も弱いので、猫パンチにも劣る力加減でさすってくれた。
他のスタッフからも「いつもサカエさんにはありがとう!って言ってもらえるから、こちらもやりがいがありますよ」とか「あなたはうちの娘に似ている。娘と一緒にいるみたいで嬉しい」とか「手をさすってくれた」等々、施設での母の言動を報告いただいていた。
老いて周囲のお世話になるばかりであっても、自分の出来ること、感謝を伝えようとする姿勢が母に残っていることを思うと、ありがたいな…と思った。
人間は、理性の蓋が外れた時に本性が現れるというが、そういう意味での母は、周囲から可愛がられる人であったことを嬉しく思うし、自分もそうなりたいと思う。
老いて周囲から疎まれるのか?大事にされ可愛がられるのか?それは、老いる前の生き方にかかっていると思われてならない。

2024年08月30日
3-5 ありがたいご縁4
2022年3月中旬、母に要介護5の認定が下り、4月より適用されることになった。
そんな折、3月下旬に特別養護老人ホームの担当者より電話が来た。
用件は「もうすぐ入所出来そうですが、いかがなさいますか?」とのことだった。
この特養は2021年8月に申し込んだ際に選択した施設の一つで、我が家から一番近く、過去にショートステイでお世話になったことがあった。すでに2月に再度特養申込をしていたが、その選定会議を待たずして、前回申し込んだものの回答が来た形となった。
詳しく話を聞くと「あと2名の方がお待ちですが、おそらく近いうちかと思います。つきましては、事前に面接をしたいのですが…」とのことで、急遽3月31日に特養スタッフの方が来宅されることになった。
母にそのことを話してもいまいちピン!と来ている様子はなく、面接も嫌がることなく応じてくれた。
この頃は週に一度の帰宅だったので、今更どこに連れて行かれようが…という心境だったのかもしれないし、単純に状況を把握出来ていなかったのかもしれない。
あと2名待機者がいるということは、早くても年内に特養に入れれば良いのかもね、と姉と話していた。
すると、面接から2週間も経たぬうちに連絡があり「もう入所出来る感じですがいかがされますか?」とのこと。え?と驚いたものの、この機会を逃してなるものか!と、即答で入所の意思を伝えた。
なぜこんなに早く入所出来るのか?それはコロナの影響で、通常よりも早い頻度で退所する(天に召される)方がいるからだ、とのことだった。何とも複雑な心境になったものの、これも我が家にとってはありがたいご縁に他ならない。
こうして神業的に話が進み、母は2022年4月29日を最後に、約1年間お世話になった小規模多機能型居宅介護施設を卒業した。
【関連記事】ありがたいご縁1/ありがたいご縁2/ありがたいご縁3

そんな折、3月下旬に特別養護老人ホームの担当者より電話が来た。
用件は「もうすぐ入所出来そうですが、いかがなさいますか?」とのことだった。
この特養は2021年8月に申し込んだ際に選択した施設の一つで、我が家から一番近く、過去にショートステイでお世話になったことがあった。すでに2月に再度特養申込をしていたが、その選定会議を待たずして、前回申し込んだものの回答が来た形となった。
詳しく話を聞くと「あと2名の方がお待ちですが、おそらく近いうちかと思います。つきましては、事前に面接をしたいのですが…」とのことで、急遽3月31日に特養スタッフの方が来宅されることになった。
母にそのことを話してもいまいちピン!と来ている様子はなく、面接も嫌がることなく応じてくれた。
この頃は週に一度の帰宅だったので、今更どこに連れて行かれようが…という心境だったのかもしれないし、単純に状況を把握出来ていなかったのかもしれない。
あと2名待機者がいるということは、早くても年内に特養に入れれば良いのかもね、と姉と話していた。
すると、面接から2週間も経たぬうちに連絡があり「もう入所出来る感じですがいかがされますか?」とのこと。え?と驚いたものの、この機会を逃してなるものか!と、即答で入所の意思を伝えた。
なぜこんなに早く入所出来るのか?それはコロナの影響で、通常よりも早い頻度で退所する(天に召される)方がいるからだ、とのことだった。何とも複雑な心境になったものの、これも我が家にとってはありがたいご縁に他ならない。
こうして神業的に話が進み、母は2022年4月29日を最後に、約1年間お世話になった小規模多機能型居宅介護施設を卒業した。
【関連記事】ありがたいご縁1/ありがたいご縁2/ありがたいご縁3

2024年08月29日
3-4 444
2022年1月までに整体に係る必要な資格を全て取得したので、開業時期を思案していた。
この時住んでいた物件は住居用賃貸物件なので、この場所での開業届は出せない。
いろいろ調べると、届出用だけに使えるバーチャルオフィスの存在を知った。住所だけを借り(合法)、その分の年間費用を支払う仕組みだ。
とはいえ、いつ開業するのか?3月になってもぼんやりとしか考えていなかったが、ある時から気付けば444の数字を目にすることが増えた。時計の針が4:44、レシートの合計が444円、ネットサイトのポイント数が4,444ポイント…といった具合だ。普段から私はぞろ目を見る機会が多いが、ここまで444を見るということは、これってもしかして4月4日に開業しろ!ってこと?と思い当たった。しかもこの年の年号は令和4年だ。まさしく444ってことだな!と。
世間で「4」は「死」に通じるということで忌み嫌われる感があるが、私は以前より「4」は「始終シアワセ!」と理解しているので、むしろラッキーナンバーでしかない。何事も考え方ひとつで物事は好転するのだ。
それから開業届に必要な書類や手続きを調べた。ホームページは自分で作れるので、ロゴマーク、ページバナーやデザイン、イラストを友人のデザイナーにお願いして創ってもらい、それをページに反映した。整体院として必要な問診票や診察券なども自作し、半月ほどで全ての準備が整い、4月には税務署に開業届を提出した。
とはいえ、自宅での施術は出来ないので、まずは訪問整体ということにし、友人、知人らに声をかけ、ほそぼそと整体業を始めた。
また、本業が4月から新しい職場になったので、そちらも心機一転!とは言いつつ、職種的には変わらずWEB制作なので、そこでの作法だけ教えてもらい、あとは自由に仕事をさせてもらっていた。
3月末から一気に物事が動き、私にとって令和4年4月4日は記念すべき日となった。
【関連記事】2-54 次の一手

この時住んでいた物件は住居用賃貸物件なので、この場所での開業届は出せない。
いろいろ調べると、届出用だけに使えるバーチャルオフィスの存在を知った。住所だけを借り(合法)、その分の年間費用を支払う仕組みだ。
とはいえ、いつ開業するのか?3月になってもぼんやりとしか考えていなかったが、ある時から気付けば444の数字を目にすることが増えた。時計の針が4:44、レシートの合計が444円、ネットサイトのポイント数が4,444ポイント…といった具合だ。普段から私はぞろ目を見る機会が多いが、ここまで444を見るということは、これってもしかして4月4日に開業しろ!ってこと?と思い当たった。しかもこの年の年号は令和4年だ。まさしく444ってことだな!と。
世間で「4」は「死」に通じるということで忌み嫌われる感があるが、私は以前より「4」は「始終シアワセ!」と理解しているので、むしろラッキーナンバーでしかない。何事も考え方ひとつで物事は好転するのだ。
それから開業届に必要な書類や手続きを調べた。ホームページは自分で作れるので、ロゴマーク、ページバナーやデザイン、イラストを友人のデザイナーにお願いして創ってもらい、それをページに反映した。整体院として必要な問診票や診察券なども自作し、半月ほどで全ての準備が整い、4月には税務署に開業届を提出した。
とはいえ、自宅での施術は出来ないので、まずは訪問整体ということにし、友人、知人らに声をかけ、ほそぼそと整体業を始めた。
また、本業が4月から新しい職場になったので、そちらも心機一転!とは言いつつ、職種的には変わらずWEB制作なので、そこでの作法だけ教えてもらい、あとは自由に仕事をさせてもらっていた。
3月末から一気に物事が動き、私にとって令和4年4月4日は記念すべき日となった。
【関連記事】2-54 次の一手

2024年08月28日
3-3 私の知らない母
2022年3月になると母は91歳を迎える。この年の母の誕生日前後は、私だけが兄宅へ行き、兄が育った島を訪ねることになった。
末っ子の私には兄、姉がおり、私の知らない母の若かりし頃の生活を訪ねてみたいと思ったのがきっかけで、兄に相談し、連れて行ってもらうことになった。
兄が育った場所はある島だが、そこに母は嫁ぎ、慣れない暮らしをしていたそうだ。実際に住んでいた家にもお邪魔させてもらい、親戚の方にも会うことが出来たし、その暮らしぶりを聞き、母が歩いたであろう場所を私も歩いた。
兄が持っている幼少期の写真なども見せてもらい、皆で懐かしいね~などと話しながら、母の青春時代を垣間見ることが出来た。若い頃の母は私の姉にそっくり!で、びっくりした。ということは、姉も歳を経たら母のようになるのかも?と想像した。
私が母から生まれてずっと一緒にいた(数年離れていた時期もある)ものの、それ以前の母のことはほぼ何も知らなかったので、兄にいろいろ話を聞かせてもらった。それを知ることで、母の人生を想像出来たし、最期を迎えるにあたって準備すべきことも見えてきた。
自身のことだって自分で分からないことはあるのだから、親の知らない面があるのは当然だろう。それらを一つでも多く知り、理解することは、今後の家族の在り方にも何がしかの影響を与えていくのではないか…と思えた出来事だった。

※母と幼少期の兄が住んでいた島からの風景
末っ子の私には兄、姉がおり、私の知らない母の若かりし頃の生活を訪ねてみたいと思ったのがきっかけで、兄に相談し、連れて行ってもらうことになった。
兄が育った場所はある島だが、そこに母は嫁ぎ、慣れない暮らしをしていたそうだ。実際に住んでいた家にもお邪魔させてもらい、親戚の方にも会うことが出来たし、その暮らしぶりを聞き、母が歩いたであろう場所を私も歩いた。
兄が持っている幼少期の写真なども見せてもらい、皆で懐かしいね~などと話しながら、母の青春時代を垣間見ることが出来た。若い頃の母は私の姉にそっくり!で、びっくりした。ということは、姉も歳を経たら母のようになるのかも?と想像した。
私が母から生まれてずっと一緒にいた(数年離れていた時期もある)ものの、それ以前の母のことはほぼ何も知らなかったので、兄にいろいろ話を聞かせてもらった。それを知ることで、母の人生を想像出来たし、最期を迎えるにあたって準備すべきことも見えてきた。
自身のことだって自分で分からないことはあるのだから、親の知らない面があるのは当然だろう。それらを一つでも多く知り、理解することは、今後の家族の在り方にも何がしかの影響を与えていくのではないか…と思えた出来事だった。

※母と幼少期の兄が住んでいた島からの風景
2024年08月27日
3-2 深夜のうらめしや~?
2022年1月末に母が施設で顔面から転倒した。怪我直後は施設に戻ってもらったが、その週末に帰宅した際、顔の腫れは少し引いたものの、青たんの範囲は顔半分くらい占めているため痛々しさは変わらず、ヒビの入った前歯はグラグラしており、母はそれをしきりに気にしていた。
前歯のこともあるので、その日の夕食はおかゆ系の流動食にし、噛まずに済むようなものを提供し、入浴介助後、就寝した。
深夜、顔の周囲に何か黒い影が覆いかぶさってきたのを感じ目を覚ますと、そこに口から血を垂らした母がいた。思わずギョッ!!としたが、どうやら前歯が取れてしまったようで、それを私に伝えようとしていた。
灯りを点けて対応しようと思い起き上がると、母は一度洗面所に一人で行き、抜けそうな歯を何とか始末しようとしていたらしく、廊下に点々と血の跡が付いていた。ひえ~~~、これって、ホラーじゃん!!とか思いながら、口から血を垂らした母を洗面所に連れていき、うがいをさせ、前歯の様子を見るとやはり歯が抜けていた。
相当気持ち悪かっただろうな~と思いながら、汚れた寝間着を着替えさせ、再び床に就いてもらった。
私の良いところなのか?悪いところなのか?こういうレアケースに遭遇すると、これって「ネタじゃん!?」と思ってしまう。通常ありえない展開には驚き、怖さが付き物だが、後で考えて見ると、こういうシチュエーションって滅多に味わえるものじゃないな…などと、つい客観的に考えてしまい、これさえも面白がってしまう不謹慎さがある。だが、これを周囲に話すと、なぜか笑いが巻き起こるのだ。母にしてみればネタにされて良い迷惑だろうが…。
それもこれも大事に至らなかったからではあるものの、予想外のアクシデントも楽しむくらいの心の余裕を持てたら良いのかも…と個人的には思っている。

前歯のこともあるので、その日の夕食はおかゆ系の流動食にし、噛まずに済むようなものを提供し、入浴介助後、就寝した。
深夜、顔の周囲に何か黒い影が覆いかぶさってきたのを感じ目を覚ますと、そこに口から血を垂らした母がいた。思わずギョッ!!としたが、どうやら前歯が取れてしまったようで、それを私に伝えようとしていた。
灯りを点けて対応しようと思い起き上がると、母は一度洗面所に一人で行き、抜けそうな歯を何とか始末しようとしていたらしく、廊下に点々と血の跡が付いていた。ひえ~~~、これって、ホラーじゃん!!とか思いながら、口から血を垂らした母を洗面所に連れていき、うがいをさせ、前歯の様子を見るとやはり歯が抜けていた。
相当気持ち悪かっただろうな~と思いながら、汚れた寝間着を着替えさせ、再び床に就いてもらった。
私の良いところなのか?悪いところなのか?こういうレアケースに遭遇すると、これって「ネタじゃん!?」と思ってしまう。通常ありえない展開には驚き、怖さが付き物だが、後で考えて見ると、こういうシチュエーションって滅多に味わえるものじゃないな…などと、つい客観的に考えてしまい、これさえも面白がってしまう不謹慎さがある。だが、これを周囲に話すと、なぜか笑いが巻き起こるのだ。母にしてみればネタにされて良い迷惑だろうが…。
それもこれも大事に至らなかったからではあるものの、予想外のアクシデントも楽しむくらいの心の余裕を持てたら良いのかも…と個人的には思っている。
