2024年09月
2024年09月30日
3-36 施設での様子16+救急搬送1
2023年8月に入っても母の様子は変わりなく穏やかな日が続いた。
尿意を催すとスタッフに手引き介助してもらい、トイレに行くことも出来ていた。
食事は介助付ではあるものの、8割方は食していたが、徐々にその量も減ったため、栄養面を考慮し高カロリーゼリーが提供されるようになった。
8月12日の起床時に車いすに座るもぐったりしているため検温すると、40.2℃の高熱を発しており、看護師指導のもと、クーリングと頭部を上げる対応をした。
8時にインフルエンザおよびコロナ検査を実施するもいずれも陰性。
経口保水液(OS1)を摂取したが、内臓の痛みを訴えるため、救急搬送されることになった。
その時私は外出中だったが、急遽予定をキャンセルし、搬送先の病院へ向かった。
検査の結果「敗血症」を患っており、そのまま緊急入院となった。
以下、Medical Noteより抜粋
敗血症とは、何らかの細菌やウイルスに感染することによって全身にさまざまな影響がおよび、心臓、肺など体の重要な臓器の機能が障害(臓器不全)される病気のこと。
92歳の母が敗血症を患うということは、即ち死に繋がることを意味する。医師からも「何があってもおかしくないので、覚悟してください。今夜が山場です」と告げられた。
後は本人の生きる力頼みであり、ウイルスを駆逐する薬が効くかどうか?だ。
検査後は病室に移り、点滴を打った状態で眠っていた。しばらく様子を見て私も帰宅した。
帰宅後は家族にその報告をした。
夜9時頃病院より熱が上がったので、厳しい状況かもしれないとの電話を受けた。
必要な処置をして様子をみるものの、今晩は携帯電話は切らずに、いつでも出れる状態にしておくよう伝えられた。
この時点で母の最期を覚悟しなければならないが、既に長い年月介護をさせてもらった身としては、まったく狼狽えることもなく、母が苦しまずにいられることだけを祈りながら、眠たいので早々に就寝した。
幸いにもその後、病院から連絡が来ることは無かった。
【関連記事】3-11 施設での様子1/3-12 施設での様子2/3-13 施設での様子3/3-14 施設での様子4/3-15 施設での様子5/3-16 施設での様子6/3-17 施設での様子7+嬉しい出来事/3-21 施設での様子8/3-23 施設での様子9/3-24 2023迎春+施設での様子10/3-25 施設での様子11/3-29 施設での様子12/3-31 施設での様子13/3-33 施設での様子14+人手不足/3-35 施設での様子15+嬉しい面会

尿意を催すとスタッフに手引き介助してもらい、トイレに行くことも出来ていた。
食事は介助付ではあるものの、8割方は食していたが、徐々にその量も減ったため、栄養面を考慮し高カロリーゼリーが提供されるようになった。
8月12日の起床時に車いすに座るもぐったりしているため検温すると、40.2℃の高熱を発しており、看護師指導のもと、クーリングと頭部を上げる対応をした。
8時にインフルエンザおよびコロナ検査を実施するもいずれも陰性。
経口保水液(OS1)を摂取したが、内臓の痛みを訴えるため、救急搬送されることになった。
その時私は外出中だったが、急遽予定をキャンセルし、搬送先の病院へ向かった。
検査の結果「敗血症」を患っており、そのまま緊急入院となった。
以下、Medical Noteより抜粋
敗血症とは、何らかの細菌やウイルスに感染することによって全身にさまざまな影響がおよび、心臓、肺など体の重要な臓器の機能が障害(臓器不全)される病気のこと。
92歳の母が敗血症を患うということは、即ち死に繋がることを意味する。医師からも「何があってもおかしくないので、覚悟してください。今夜が山場です」と告げられた。
後は本人の生きる力頼みであり、ウイルスを駆逐する薬が効くかどうか?だ。
検査後は病室に移り、点滴を打った状態で眠っていた。しばらく様子を見て私も帰宅した。
帰宅後は家族にその報告をした。
夜9時頃病院より熱が上がったので、厳しい状況かもしれないとの電話を受けた。
必要な処置をして様子をみるものの、今晩は携帯電話は切らずに、いつでも出れる状態にしておくよう伝えられた。
この時点で母の最期を覚悟しなければならないが、既に長い年月介護をさせてもらった身としては、まったく狼狽えることもなく、母が苦しまずにいられることだけを祈りながら、眠たいので早々に就寝した。
幸いにもその後、病院から連絡が来ることは無かった。
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2024年09月29日
3-35 施設での様子15+嬉しい面会
2023年7月になると母の活気は鳴りを潜め、以前のような立腹が殆ど無くなり、車いすに座っていても居眠りしたり、午後もベッドで眠ることが増えた。
車いすから立とうとすることがあるものの、歩き出すこともなく、というより歩く筋力がないうえ、立つことも自力ではままならず、様子を見てスタッフがトイレ誘導をしていた。
食事も8割ほどの摂取で、自力では5割ほどしか口に出来ないことから、食事の介助も始まった。
7月下旬に、地方に住む兄家の長男(私から見ると甥)家族が上京した。
先日(2024年9月)上京したのは次男家族だ。
こちらは2022年に女の子が誕生しており、母から見ると7番目のひ孫になる。
その子も連れて、家族3人で面会のため施設に行ってくれ、母にとっても、甥にとっても、これが最後の顔合わせとなった。
家族で夏休みを利用して夢の国に行くのが目的で上京したが、我が家に何も言わずに行くことだって出来たはずなのに「ばあちゃんに会いたい」と言う気持ち、奥さんも嫌がらずに一緒に行ってくれるなんて、母は本当に幸せな人だ。
1歳のひ孫がキャッキャとはしゃぐ様を見て、母は何を思っただろう。
子供の頃から苦労の絶えない人であり、結婚後も苦難の連続だった。それが今や3人の子供、5人の孫、8人のひ孫に恵まれ、認知症になって何も分からないだろうと周囲が思うような状態でも、遠方にいる家族はその身を案じ、出来るだけの心配りをしてくれる。人生の終盤にこのような境遇に至ったことは、母の辛抱、身に徳を受けるだけの行いの連続の賜物だったろうと思えてならない。
今振り返ると、この時点で母の余命は半年を切っていた。
最期に向かい、会うべき人に会い、一人、また一人と別れを告げるチャンスをもらっていたのだろう…と、改めて思った。
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車いすから立とうとすることがあるものの、歩き出すこともなく、というより歩く筋力がないうえ、立つことも自力ではままならず、様子を見てスタッフがトイレ誘導をしていた。
食事も8割ほどの摂取で、自力では5割ほどしか口に出来ないことから、食事の介助も始まった。
7月下旬に、地方に住む兄家の長男(私から見ると甥)家族が上京した。
先日(2024年9月)上京したのは次男家族だ。
こちらは2022年に女の子が誕生しており、母から見ると7番目のひ孫になる。
その子も連れて、家族3人で面会のため施設に行ってくれ、母にとっても、甥にとっても、これが最後の顔合わせとなった。
家族で夏休みを利用して夢の国に行くのが目的で上京したが、我が家に何も言わずに行くことだって出来たはずなのに「ばあちゃんに会いたい」と言う気持ち、奥さんも嫌がらずに一緒に行ってくれるなんて、母は本当に幸せな人だ。
1歳のひ孫がキャッキャとはしゃぐ様を見て、母は何を思っただろう。
子供の頃から苦労の絶えない人であり、結婚後も苦難の連続だった。それが今や3人の子供、5人の孫、8人のひ孫に恵まれ、認知症になって何も分からないだろうと周囲が思うような状態でも、遠方にいる家族はその身を案じ、出来るだけの心配りをしてくれる。人生の終盤にこのような境遇に至ったことは、母の辛抱、身に徳を受けるだけの行いの連続の賜物だったろうと思えてならない。
今振り返ると、この時点で母の余命は半年を切っていた。
最期に向かい、会うべき人に会い、一人、また一人と別れを告げるチャンスをもらっていたのだろう…と、改めて思った。
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2024年09月28日
3-34 親しい方の死
2023年6月も概ね穏やかに日々を過ごしていた母。
その中旬、親子共々大変お世話になっていた、母より2歳年下の方が逝去された。
この方は半身不随となったことから特養に入所されていた。
私達親子は、私が15歳の時からこの方とのご縁をいただき、第2の親のようにかわいがって下さり、ご教導くださった。
長年施設に入所されていたから、ある程度の覚悟は出来ていたものの、訃報を聞き、その亡骸と対面した時は現わし切れない複雑な気持ちを抱きつつも、改めてその方へ感謝の思いが湧いてきた。
互いに元気に対面していた時には気付かないけれど、肉体が終わりを迎えた時、もう話すことも、笑い合えることも出来ないと実感した時、人間は有限なんだと改めて気付かされるし、これまでの長い年月を共に過ごせたことが、どれほど恵まれ、幸せであったかを思い知らされる。
こうして親しい方との別れを通して、母とのそれももう間近なのだと現実を突きつけられたし、穏やかな最期を迎えて欲しいと切望した。
外出時、その方が亡くなったことを伝えると、母は大層驚いていた。認知症であっても、親しい方のことはちゃんと憶えていた。

その中旬、親子共々大変お世話になっていた、母より2歳年下の方が逝去された。
この方は半身不随となったことから特養に入所されていた。
私達親子は、私が15歳の時からこの方とのご縁をいただき、第2の親のようにかわいがって下さり、ご教導くださった。
長年施設に入所されていたから、ある程度の覚悟は出来ていたものの、訃報を聞き、その亡骸と対面した時は現わし切れない複雑な気持ちを抱きつつも、改めてその方へ感謝の思いが湧いてきた。
互いに元気に対面していた時には気付かないけれど、肉体が終わりを迎えた時、もう話すことも、笑い合えることも出来ないと実感した時、人間は有限なんだと改めて気付かされるし、これまでの長い年月を共に過ごせたことが、どれほど恵まれ、幸せであったかを思い知らされる。
こうして親しい方との別れを通して、母とのそれももう間近なのだと現実を突きつけられたし、穏やかな最期を迎えて欲しいと切望した。
外出時、その方が亡くなったことを伝えると、母は大層驚いていた。認知症であっても、親しい方のことはちゃんと憶えていた。

2024年09月27日
3-33 施設での様子14+人手不足
2023年5月に入ると、母の気持ちも少し落ち着いてきたかのように見えたものの、8日、10日と続けて転倒事故があった。
8日は深夜帯であり職員も少ない状況のなか、母が起き出したことに気付いた職員が駆けつけるも間に合わず、廊下で右顔面から倒れる形で転倒し、口内、口唇の出血、右手親指付け根に3センチほどの内出血が出来た。
10日は朝食時間帯にスタッフが他入所者対応中、母がベッド横に左側臥位で倒れているのが発見された。
連日、脳神経外科でMRI検査を受け異常がないことが確認された。幸い骨折もなかったため、様子見となった。
いずれもスタッフが足りない最中であり、10日に至っては同時に数人のオンコール対応と重なったことで、母の転倒の発見が遅れた。それについては施設を責めることではないし、人手不足の最中でも、その後の対応はきちんとして下さった。
8日に担当したスタッフの方は夜勤明けにも関わらず、翌日母の受診にまで付き添ってくださり、その報告まで電話でいただいた。母に怪我をさせたことを気にされ何度も謝られた。それはその方の過失ではないし、そのことに心を痛めないようにと、精一杯お世話下さっていることに私は感謝の意を伝えた。
どの施設でもそうだろうが、介護職に就いてる方は、目の前にいる高齢者に寄り添い、少しでも日々を楽しく過ごせるよう工夫をこらし、お世話して下さっている。一人一人を大事にしたくても、同時多発的にケアが必要な状態となると、どうしても手が回らないこともあるし、それにより事故が起きることも有り得る。
事故が起きた、怪我をしたといったことだけに捉われると、負の感情しか表出しなくなる。その裏にある多くの事情、背景も含めて思考すると、日々懸命にお世話くださるスタッフの姿が想像出来る。
人手不足は慢性化しており、予測不能な認知症者のお世話は簡単に出来ることではないし、対応にだって限界はある。
施設にお願いする者として、その辺の事情もよくよく承知したうえで、スタッフの方が少しでも気持ち良く働けることを願っていた。
一見おおごとのような転倒がありながらも、他日は概ね元気に過ごしており、月1度の外出も叶い、家族との数時間を過ごすことも出来た5月だった。
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8日は深夜帯であり職員も少ない状況のなか、母が起き出したことに気付いた職員が駆けつけるも間に合わず、廊下で右顔面から倒れる形で転倒し、口内、口唇の出血、右手親指付け根に3センチほどの内出血が出来た。
10日は朝食時間帯にスタッフが他入所者対応中、母がベッド横に左側臥位で倒れているのが発見された。
連日、脳神経外科でMRI検査を受け異常がないことが確認された。幸い骨折もなかったため、様子見となった。
いずれもスタッフが足りない最中であり、10日に至っては同時に数人のオンコール対応と重なったことで、母の転倒の発見が遅れた。それについては施設を責めることではないし、人手不足の最中でも、その後の対応はきちんとして下さった。
8日に担当したスタッフの方は夜勤明けにも関わらず、翌日母の受診にまで付き添ってくださり、その報告まで電話でいただいた。母に怪我をさせたことを気にされ何度も謝られた。それはその方の過失ではないし、そのことに心を痛めないようにと、精一杯お世話下さっていることに私は感謝の意を伝えた。
どの施設でもそうだろうが、介護職に就いてる方は、目の前にいる高齢者に寄り添い、少しでも日々を楽しく過ごせるよう工夫をこらし、お世話して下さっている。一人一人を大事にしたくても、同時多発的にケアが必要な状態となると、どうしても手が回らないこともあるし、それにより事故が起きることも有り得る。
事故が起きた、怪我をしたといったことだけに捉われると、負の感情しか表出しなくなる。その裏にある多くの事情、背景も含めて思考すると、日々懸命にお世話くださるスタッフの姿が想像出来る。
人手不足は慢性化しており、予測不能な認知症者のお世話は簡単に出来ることではないし、対応にだって限界はある。
施設にお願いする者として、その辺の事情もよくよく承知したうえで、スタッフの方が少しでも気持ち良く働けることを願っていた。
一見おおごとのような転倒がありながらも、他日は概ね元気に過ごしており、月1度の外出も叶い、家族との数時間を過ごすことも出来た5月だった。
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2024年09月26日
3-32 木の芽立ち
2023年3~4月は認知症状による活気が強く出る場面が多かったが、5月に入ると少し落ち着きを取り戻し、夜も以前よりは熟睡することが増えたと報告書にあった。
そこで思い至ったのが「春は木の芽立ちの季節」ということだ。
季節の変わり目でもあり、昔から木の芽立ちの頃は精神が不安定になり易い、と言われている。
新学期が始まったり、新社会人にとっては大きな環境の変化などにより、心身にストレスを抱えたり、情緒不安定になることもある。組織人であれば異動や転勤といった予想だにしない展開に翻弄される者もいるだろう。
認知症となり、理性の蓋が外れた母にしてみれば、本能だけで生きており、その状態であればなおのこと、寒暖差や環境の変化、自身の身に起きている漫然とした恐怖と不安は測り知れず…自身の思いや体力ではどうすることも出来ない鬱憤は計り知れないものがあるだろう。
この季節は花粉症もあり、症状のある者にとってはツライ時期だ。母も同居していた頃は軽い花粉症を患っており、たまに鼻水がタラ~っと垂れていたこともあるが、その不快さを伝えることも現状では難しいだろう。
春は土に眠っていた種が目覚め、地上に顔を出す時で、それ相応のエネルギーが要ることだ。そんな自然界の計り知れないエネルギーが充満している季節なのだから、人も動物もいつもより殺気立ったり、敏感になることもまた自然の摂理だろう。
木の芽立ちのシーズンを無事に乗り越えた先には、穏やかな春の日々が続くと良いのだが…。

そこで思い至ったのが「春は木の芽立ちの季節」ということだ。
季節の変わり目でもあり、昔から木の芽立ちの頃は精神が不安定になり易い、と言われている。
新学期が始まったり、新社会人にとっては大きな環境の変化などにより、心身にストレスを抱えたり、情緒不安定になることもある。組織人であれば異動や転勤といった予想だにしない展開に翻弄される者もいるだろう。
認知症となり、理性の蓋が外れた母にしてみれば、本能だけで生きており、その状態であればなおのこと、寒暖差や環境の変化、自身の身に起きている漫然とした恐怖と不安は測り知れず…自身の思いや体力ではどうすることも出来ない鬱憤は計り知れないものがあるだろう。
この季節は花粉症もあり、症状のある者にとってはツライ時期だ。母も同居していた頃は軽い花粉症を患っており、たまに鼻水がタラ~っと垂れていたこともあるが、その不快さを伝えることも現状では難しいだろう。
春は土に眠っていた種が目覚め、地上に顔を出す時で、それ相応のエネルギーが要ることだ。そんな自然界の計り知れないエネルギーが充満している季節なのだから、人も動物もいつもより殺気立ったり、敏感になることもまた自然の摂理だろう。
木の芽立ちのシーズンを無事に乗り越えた先には、穏やかな春の日々が続くと良いのだが…。
