2024年06月06日
1-1 はじまり
6年間に亘った父(86歳)の介護が2014年6月6日に終わり、そこから母(83歳)と私(49歳)の二人暮らしが始まった。
私は両親の介護が始まる以前は一人暮らしをしていたが、老いて日常生活に支障を来すようになった二人と再同居し始めたのは2007年のことだ。
その翌年から父が慢性腎不全のため人工透析が必要となり、入退院を繰り返していたが、通院透析が可能になってから、私は仕事と介護の両立生活を送ることになった。
父は80歳から亡くなるまで、週3日透析のために通院しており、母、姉、私と交代でその送り迎えをしていたが、2012年頃には母の体力が持たなくなっていた。
昭和一桁生まれ、頑固一徹!戦争にも召集され、何度も生死を彷徨う壮絶な体験を生き抜いた父の世話は、家族にとって相当に辛抱のいることの連続で、透析を始めてからも家族の言うことは一切聞かず、好き勝手に生きた父が亡くなり、家族としては「やれやれ…」というのが正直な感想だった。
父の世話を長年続けてきた母は、ようやく自由な時間を持てるようになった。
ここから2020年まで母とあちこち旅行に出かけたり、美味しいものを食べに行ったりすることになる。
その間、母の心身は確実に最後に向かっており、少しずつ介護が現実のものとなっていった。
そんな母との介護生活をこのブログで綴って行く。
日々介護に追われている方、これから介護をされる方の参考になれれば幸いである。

私は両親の介護が始まる以前は一人暮らしをしていたが、老いて日常生活に支障を来すようになった二人と再同居し始めたのは2007年のことだ。
その翌年から父が慢性腎不全のため人工透析が必要となり、入退院を繰り返していたが、通院透析が可能になってから、私は仕事と介護の両立生活を送ることになった。
父は80歳から亡くなるまで、週3日透析のために通院しており、母、姉、私と交代でその送り迎えをしていたが、2012年頃には母の体力が持たなくなっていた。
昭和一桁生まれ、頑固一徹!戦争にも召集され、何度も生死を彷徨う壮絶な体験を生き抜いた父の世話は、家族にとって相当に辛抱のいることの連続で、透析を始めてからも家族の言うことは一切聞かず、好き勝手に生きた父が亡くなり、家族としては「やれやれ…」というのが正直な感想だった。
父の世話を長年続けてきた母は、ようやく自由な時間を持てるようになった。
ここから2020年まで母とあちこち旅行に出かけたり、美味しいものを食べに行ったりすることになる。
その間、母の心身は確実に最後に向かっており、少しずつ介護が現実のものとなっていった。
そんな母との介護生活をこのブログで綴って行く。
日々介護に追われている方、これから介護をされる方の参考になれれば幸いである。

この記事へのコメント
1. Posted by 畑淳 2024年06月06日 11:43

2. Posted by エンジ 2024年06月06日 13:16

少しでも誰かのヒントになれたらなと願っています。
3. Posted by 幸子 2024年06月06日 13:36
良く頑張ったね!
4. Posted by エンジ 2024年06月06日 19:03
