2024年06月30日
1-25 Chapter1の振り返り
母の介護第1段階である、83~87歳までにあった主な出来事を書いてきた。
83歳で夫を見送り、これまで出来なかった家族との旅行や団らんを楽しんだ。幼少期の不遇を取り戻すべく?母にとって新たな青春の日々だったのではないだろうか。
87歳でバリアフリーの家に引っ越し、新たな環境に慣れるべく母なりに苦心の日々が続くなか、身体の衰えは日ごとに増していき、車いすのお世話になるようになった。それに伴い、お風呂やトイレの介助も発生したが、私は「衰え」ではなく「子供に還る」と捉え、対応することにした。
母が「赤ちゃんに還る」=「最期を迎える」。安心してその時がくることを念頭に置いた。
ネガティブ思考の母をどうやったら笑顔に出来るか?元気付けられるか?それは私にとって大きな課題であったが、自分が子供の頃に母にしてもらったように「嬉しい」と思えることを心がけるようにしたことで、少しずつ笑顔が増えてきたし、母が本来持つ天然要素も顔を出し始め、気付けば毎日大笑いするようにもなった。
怒りたくなるような場面でも、それを如何に笑いに転換できるか?笑えないなら、意地でも笑ってやる!と、私は常に自分と闘っていた。
とはいえ、一番キツかったのは母本人だ。自分で自分の身がままならず、この先どうなっていくのだろう?という不安は私より勝っていただろう。
そんな母もいよいよ介護認定を申請することになる。
明日からは第2章として、88歳(2019)~91歳(2022)に入る。
もしかすると、思い出して第1章の追加あるかも…。

83歳で夫を見送り、これまで出来なかった家族との旅行や団らんを楽しんだ。幼少期の不遇を取り戻すべく?母にとって新たな青春の日々だったのではないだろうか。
87歳でバリアフリーの家に引っ越し、新たな環境に慣れるべく母なりに苦心の日々が続くなか、身体の衰えは日ごとに増していき、車いすのお世話になるようになった。それに伴い、お風呂やトイレの介助も発生したが、私は「衰え」ではなく「子供に還る」と捉え、対応することにした。
母が「赤ちゃんに還る」=「最期を迎える」。安心してその時がくることを念頭に置いた。
ネガティブ思考の母をどうやったら笑顔に出来るか?元気付けられるか?それは私にとって大きな課題であったが、自分が子供の頃に母にしてもらったように「嬉しい」と思えることを心がけるようにしたことで、少しずつ笑顔が増えてきたし、母が本来持つ天然要素も顔を出し始め、気付けば毎日大笑いするようにもなった。
怒りたくなるような場面でも、それを如何に笑いに転換できるか?笑えないなら、意地でも笑ってやる!と、私は常に自分と闘っていた。
とはいえ、一番キツかったのは母本人だ。自分で自分の身がままならず、この先どうなっていくのだろう?という不安は私より勝っていただろう。
そんな母もいよいよ介護認定を申請することになる。
明日からは第2章として、88歳(2019)~91歳(2022)に入る。
もしかすると、思い出して第1章の追加あるかも…。

この記事へのコメント
1. Posted by かん 2024年07月06日 09:13

2. Posted by エンジ 2024年07月06日 09:17
>>1 ご愛読、ありがとうございます!何せ10年分なので、毎日書かないと終わらない!って感じです。生活環境は人それぞれなので、当てはまること、そうでないこともあると思いますが、参考にしてもらえたら嬉しいです!