2024年08月21日
2-52 ホッとする自分2
母の認知症状による夜中のトイレ介助や徘徊により、週二日の帰宅時に私が眠れない状況が続いたため、兄姉、施設長とも相談し、2021年9月より母の帰宅が週に一度となった。
これまでも母が家に居る時は睡眠不足が続いていたが、数年に亘る睡眠負債により私も心身の疲れが抜けにくくなっていた。身体は空元気でいたとしても、精神が病んでいることにまでは気付かないものだ。
後に聞いた話だが、この頃一緒に旅行した友達が「あの頃のあなたは明らかにおかしかったよ!」と言われたことがある。「いつも前向きにガンガン進むのに、何かにつけ後ろ向きな発言をしていたのが気になった…と。今にして思えば介護の疲れだったんだろうね…」と。
確かにこの頃の私は昭和の歌謡曲ばかり聞いていて、新しい曲には見向きもせずというか、聞くことさえ億劫だったし、推しメンもいなかったし、楽しみがあまり無かったし、遊びにも行けてなかった…と。例え何かに興じることがあったとしても、帰れば介護が待っていると思うと、心からそれを楽しみ切ることは出来なかった。
「欲しがりません、勝つまでは!」ではないが「欲しがりません!介護が終わるまでは!」と言った心境というか、自身にそんな呪縛をかけていたのかもしれない。
身心の疲弊が悲鳴となりギブアップ!となったことから、母には申し訳ないが、週に一度の帰宅となるようにした。これで朝のイヤイヤ星人の出現も減るかと思うと、それだけで心が軽くなった。
母がいなくなってホッとする自分に少しの罪悪感を覚えつつも、この日々があったからこそ、未知の介護も経験出来たし、人生課題の一つである親の看取りもクリアー出来、一片の悔いも無し!と言い切れるのだろう。

これまでも母が家に居る時は睡眠不足が続いていたが、数年に亘る睡眠負債により私も心身の疲れが抜けにくくなっていた。身体は空元気でいたとしても、精神が病んでいることにまでは気付かないものだ。
後に聞いた話だが、この頃一緒に旅行した友達が「あの頃のあなたは明らかにおかしかったよ!」と言われたことがある。「いつも前向きにガンガン進むのに、何かにつけ後ろ向きな発言をしていたのが気になった…と。今にして思えば介護の疲れだったんだろうね…」と。
確かにこの頃の私は昭和の歌謡曲ばかり聞いていて、新しい曲には見向きもせずというか、聞くことさえ億劫だったし、推しメンもいなかったし、楽しみがあまり無かったし、遊びにも行けてなかった…と。例え何かに興じることがあったとしても、帰れば介護が待っていると思うと、心からそれを楽しみ切ることは出来なかった。
「欲しがりません、勝つまでは!」ではないが「欲しがりません!介護が終わるまでは!」と言った心境というか、自身にそんな呪縛をかけていたのかもしれない。
身心の疲弊が悲鳴となりギブアップ!となったことから、母には申し訳ないが、週に一度の帰宅となるようにした。これで朝のイヤイヤ星人の出現も減るかと思うと、それだけで心が軽くなった。
母がいなくなってホッとする自分に少しの罪悪感を覚えつつも、この日々があったからこそ、未知の介護も経験出来たし、人生課題の一つである親の看取りもクリアー出来、一片の悔いも無し!と言い切れるのだろう。

この記事へのコメント
1. Posted by coco 2024年08月25日 20:11
いつも拝読させてもらってます。ありがとうございます。
よくよく細かいところまで覚えていらっしゃると感心します。
毎日の楽しみになってます。
よくよく細かいところまで覚えていらっしゃると感心します。
毎日の楽しみになってます。
2. Posted by エンジ 2024年08月26日 06:14
>>1
cocoさん、コメントありがとうございます!
このブログが何がしかのヒント、お役に立てるようでしたら嬉しいです。
これからもご愛読、よろしくお願いいたします!
cocoさん、コメントありがとうございます!
このブログが何がしかのヒント、お役に立てるようでしたら嬉しいです。
これからもご愛読、よろしくお願いいたします!