2024年10月11日
3-47 最後の時2
2023年12月11日に肺炎のため、8月に入院した病院に搬送された母。
敗血症さえも克服した母の生きる力に医師も驚いたと話していたが、今回はさすがに厳しいかもしれない…とのことだった。
レントゲン写真を見せてもらうと、肺の大半が白く濁っていて、正常な機能がほぼ残っていない状態だった。
病院としては本人が苦しまずに済むよう、内科的処置をするのみとのことで、状態が想像以上に良くなかったため、HCU(高度治療室)に入ることになった。
母自身は意識が朦朧としているため、話しかけても反応はない。あとは病院の処置に委ねるしかない。
12月12日夜8時過ぎに病院から電話があり「発熱が37℃台から38℃台に上がっているのと、血圧が下がってきているので、今夜はどうなるか分かりません」とのことで、携帯はいつでも繋がるようにしてください、と伝えられた。
結局その後病院からの連絡はなかったものの、危ない状況は変わらず続いた。
処方薬や栄養注入のための点滴をするが、腕の血管が細いため、12月13日には中心静脈カテーテル挿入術が行われた。これで点滴がスムーズに出来るようになる。
家族としてはというより、本人の昔からの希望で延命は望んでいないので、自然な形で最期を迎えられるよう病院側にお願いした。医師もそれを承諾し、共に最期に向けてのカウントダウンを歩むことになった。
12月16日に病院より呼び出しがあり、午後に医師から状況説明を受けた。
カテーテル手術は無事成功し、HCUでの手厚い看護のおかげで、少しずつ快方には向かってはいるものの、肺の状態は決して良いものではないとの話だった。
医師の説明後、HCUにいる母の元に行った。母は起きていて、声をかけると私のほうを見上げてくれ、認識しているようだった。その時の母の目は赤ん坊のように澄んでいて、まるで生まれたてのそれのような輝きを放っており「ああ、母は赤ちゃんに還ったんだな…」と実感した。
HCUでの面会時間は10分だが、その間、私に出来ることは何もなく、ただ母の側にいるだけだった。
【関連記事】3-46 施設での様子20+最後の時1

※写真はイメージです。
敗血症さえも克服した母の生きる力に医師も驚いたと話していたが、今回はさすがに厳しいかもしれない…とのことだった。
レントゲン写真を見せてもらうと、肺の大半が白く濁っていて、正常な機能がほぼ残っていない状態だった。
病院としては本人が苦しまずに済むよう、内科的処置をするのみとのことで、状態が想像以上に良くなかったため、HCU(高度治療室)に入ることになった。
母自身は意識が朦朧としているため、話しかけても反応はない。あとは病院の処置に委ねるしかない。
12月12日夜8時過ぎに病院から電話があり「発熱が37℃台から38℃台に上がっているのと、血圧が下がってきているので、今夜はどうなるか分かりません」とのことで、携帯はいつでも繋がるようにしてください、と伝えられた。
結局その後病院からの連絡はなかったものの、危ない状況は変わらず続いた。
処方薬や栄養注入のための点滴をするが、腕の血管が細いため、12月13日には中心静脈カテーテル挿入術が行われた。これで点滴がスムーズに出来るようになる。
家族としてはというより、本人の昔からの希望で延命は望んでいないので、自然な形で最期を迎えられるよう病院側にお願いした。医師もそれを承諾し、共に最期に向けてのカウントダウンを歩むことになった。
12月16日に病院より呼び出しがあり、午後に医師から状況説明を受けた。
カテーテル手術は無事成功し、HCUでの手厚い看護のおかげで、少しずつ快方には向かってはいるものの、肺の状態は決して良いものではないとの話だった。
医師の説明後、HCUにいる母の元に行った。母は起きていて、声をかけると私のほうを見上げてくれ、認識しているようだった。その時の母の目は赤ん坊のように澄んでいて、まるで生まれたてのそれのような輝きを放っており「ああ、母は赤ちゃんに還ったんだな…」と実感した。
HCUでの面会時間は10分だが、その間、私に出来ることは何もなく、ただ母の側にいるだけだった。
【関連記事】3-46 施設での様子20+最後の時1

※写真はイメージです。