2024年10月31日
4-12 Chapter4の振り返り
2024年1月1日に母が天寿を全うした。
本来なら2023年中にそうなっていてもおかしくなかったが、母の強い願いと祈りにより、元日の恒例行事が滞りなく終わってから逝った所業は、まさにアッパレ!としか言いようがない。
斎場や火葬場は行政管理のため、3が日は休みにつき、それ以降の対応となる。忌引き休暇等の兼ね合いもありどうなるかと思ったものの、その期間中に予約が取れた。
この日が来ることは想定内であったものの、実際葬儀に向けての諸準備はアレヨアレヨという間に進んでいくうえ、待ったなし!の状況だ。逡巡している暇はないが、母が生前願っていたことを軸に、兄姉とも相談のうえ、葬儀の手配が整っていった。
その日は、兄、姉家族も揃い、斎場での受付も孫やひ孫達が対応した。
母はキレイにしてもらい、美しい旅立ちの衣装を身にまとい、たくさんの花々で装飾された祭壇で、念願だった教会の先生に葬儀を仕えてもらうことが出来た。
1日葬だったので、その日のうちに火葬場へと移動し、家族皆で母の骨上げをし壺に収めることが出来た。
葬儀後は納骨まで十日おき、五十日祭までの旬日祭も教会にて仕えていただいた。
実務的なことでは行政手続きや参列者への返礼送付、病院の後日精算といった細々した事柄もクリアーしていった。
四十日祭後には沖縄に旅行し、母と行った場所を巡ることも出来た。
母が霊(みたま)となってから一度も現れなかったが、葬儀前にあの世で元気にやっていると、一度だけ現れてくれ、その嬉しそうな顔が今も脳裏に焼き付いている。
年明けに手術を控えていた兄は、母の葬儀に参列出来るか不明であったものの、手術1週間前に葬儀となったため、無事に喪主も務められたうえ、術後の経過も良く、元気に日々を過ごすことが出来ている。
3月が誕生月である母、93歳の誕生日を前に、家族揃って納骨を見届けることが出来た。
11月からは、私がこのブログを書けるようになるまで、つまりは、真の意味での元気を取り戻すまでのことから、これからの展望について書いていく。

本来なら2023年中にそうなっていてもおかしくなかったが、母の強い願いと祈りにより、元日の恒例行事が滞りなく終わってから逝った所業は、まさにアッパレ!としか言いようがない。
斎場や火葬場は行政管理のため、3が日は休みにつき、それ以降の対応となる。忌引き休暇等の兼ね合いもありどうなるかと思ったものの、その期間中に予約が取れた。
この日が来ることは想定内であったものの、実際葬儀に向けての諸準備はアレヨアレヨという間に進んでいくうえ、待ったなし!の状況だ。逡巡している暇はないが、母が生前願っていたことを軸に、兄姉とも相談のうえ、葬儀の手配が整っていった。
その日は、兄、姉家族も揃い、斎場での受付も孫やひ孫達が対応した。
母はキレイにしてもらい、美しい旅立ちの衣装を身にまとい、たくさんの花々で装飾された祭壇で、念願だった教会の先生に葬儀を仕えてもらうことが出来た。
1日葬だったので、その日のうちに火葬場へと移動し、家族皆で母の骨上げをし壺に収めることが出来た。
葬儀後は納骨まで十日おき、五十日祭までの旬日祭も教会にて仕えていただいた。
実務的なことでは行政手続きや参列者への返礼送付、病院の後日精算といった細々した事柄もクリアーしていった。
四十日祭後には沖縄に旅行し、母と行った場所を巡ることも出来た。
母が霊(みたま)となってから一度も現れなかったが、葬儀前にあの世で元気にやっていると、一度だけ現れてくれ、その嬉しそうな顔が今も脳裏に焼き付いている。
年明けに手術を控えていた兄は、母の葬儀に参列出来るか不明であったものの、手術1週間前に葬儀となったため、無事に喪主も務められたうえ、術後の経過も良く、元気に日々を過ごすことが出来ている。
3月が誕生月である母、93歳の誕生日を前に、家族揃って納骨を見届けることが出来た。
11月からは、私がこのブログを書けるようになるまで、つまりは、真の意味での元気を取り戻すまでのことから、これからの展望について書いていく。
