2014(83歳)~2018(87歳)年

2024年06月30日

1-25 Chapter1の振り返り

母の介護第1段階である、83~87歳までにあった主な出来事を書いてきた。
83歳で夫を見送り、これまで出来なかった家族との旅行や団らんを楽しんだ。幼少期の不遇を取り戻すべく?母にとって新たな青春の日々だったのではないだろうか。

87歳でバリアフリーの家に引っ越し、新たな環境に慣れるべく母なりに苦心の日々が続くなか、身体の衰えは日ごとに増していき、車いすのお世話になるようになった。それに伴い、お風呂やトイレの介助も発生したが、私は「衰え」ではなく「子供に還る」と捉え、対応することにした。
母が「赤ちゃんに還る」=「最期を迎える」。安心してその時がくることを念頭に置いた。

ネガティブ思考の母をどうやったら笑顔に出来るか?元気付けられるか?それは私にとって大きな課題であったが、自分が子供の頃に母にしてもらったように「嬉しい」と思えることを心がけるようにしたことで、少しずつ笑顔が増えてきたし、母が本来持つ天然要素も顔を出し始め、気付けば毎日大笑いするようにもなった。

怒りたくなるような場面でも、それを如何に笑いに転換できるか?笑えないなら、意地でも笑ってやる!と、私は常に自分と闘っていた。

とはいえ、一番キツかったのは母本人だ。自分で自分の身がままならず、この先どうなっていくのだろう?という不安は私より勝っていただろう。

そんな母もいよいよ介護認定を申請することになる。
明日からは第2章として、88歳(2019)~91歳(2022)に入る。
もしかすると、思い出して第1章の追加あるかも…。

240630




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2024年06月29日

1-24 言葉も還る

引っ越しをする前から母は若干失語症っぽくなっていた。
孫の名前を呼ぶにも、呼びたい子の名前ではなく、他の孫4人の名前を全部言って(〇〇ちゃんじゃなくて、〇〇ちゃんじゃなくて…)から、最後に呼びたい孫の名前を口にする、という具合だ。
私のことを呼ぶ時も姉達の名前と間違えることはしょっちゅうだった。

思っていることを口にしたいのに言葉が出てこないジレンマは本人も歯がゆいだろうが、聞いてるこちらも待っていられず、つい「〇〇なんでしょ」と母の言いたいことを遮ってしまい「あんたはどうしてうちの言いたいことを先に言うんかい!(九州弁)」と叱られた。

確かに…自分が言いたいことを他人に先に言われたらムカつくな…と気付かされ、それからは極力母が言い終わるまで口を出さないようにした。すると今度は「ほら、あれよ、あれ!分かっちょるなら言わんかい!(九州弁)」と、逆切れされる始末。

日中家に一人でいて、出かける機会も減っているから、脳への刺激も少なくなっているせいだろう。離れて暮らす子供に電話で話したくても、私に聞かないとかけ方が分からず断念せざるを得ない。
足が悪くなってからは更に引きこもりに拍車がかかり、言葉も出づらくなっていったうえ、日中は眠いらしく、眠る時間も増えていった。

こうやって人は少しずつ身体機能を天に還していくのだろう…と思う日々だった。

240629



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2024年06月28日

1-23 仕事は辞めない

父の介護時も、母の介護が必要になってからも、私は週5フル勤務しているが、仕事は辞めなかった。介護のために辞めたら、もっと現実はキツクなるだろうと予想出来たし、辞めたら経済面でも生活が途端に回らなくなるからだ。

子育てもそうだが、どんなにかわいい子であっても、四六時中一緒にいるのは精神的にキツイ。
家族であれ、親しい人との間柄であっても、ずっと一緒にいることはないし、一人になる時間は必要だ。

コロナになるまでは、週1~2テレワーク、週3~4通勤していた。
朝早く起きて、掃除、洗濯、朝食と留守にする間の母の昼食を準備し通勤。帰宅してから夕飯を作り母と一緒に食べ、母の入浴介助、就寝まで見守る。
夜中に母のトイレの介助が続くこともあり、慢性的な睡眠不足に陥っていたが、それでも仕事を辞めよう、とは思わなかった。

介護で一番キツかったのは「眠れないこと」だったが「寝た、寝た!」と自己暗示をかけて凌いでいた。とはいえ、日中眠くなることもあるので「気のせい!気のせい!」とこれまた同様に自身に言い聞かせていた。

介護生活になってからは、遊ぶ時間も減ったし、友達ともあまり会えなくなったものの、習い事も続けていたし、年に2度は旅行もし、朝のウォーキングも欠かさなかった。
これまでの生活習慣をなるべく変えることなく、キツクないよう工夫を凝らした。

介護度が上がるにつれ、自分の手に負えないと見通せた時、初めて行政の力を借りることにした。

介護は一人で抱えるものではないし、抱えきれるものではない。
家族や友人など、周りに話をするだけでも自分の知らなかった方法が見つかることもある。
母が88歳になってから介護認定が下り、それに応じた対策を取ることになっていく。

介護が原因で仕事を辞める人が多くいる昨今ではあるが、辞める前に家族、親族、知人、友人、行政に相談することをお勧めする。
また、仕事を辞めてしまうと、特別養護老人ホームの申請において優先ポイントが減ってしまうので、そこも念頭に入れておいたほうが良いだろう。

それぞれ環境が違うから一概には言えないが、私見として「仕事を辞める=更なる窮地」となる。そうならないためにも、文殊の知恵が必要だ。

240628


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2024年06月27日

1-22 イケメン好き!

かかりつけ医になった医師は、母と私に一枚ずつ名刺を差し出し、丁寧にあいさつをしてくれた。
「お母さまがこれまでお元気でお過ごしになられて本当にお幸せですね。また、娘さんと一緒にお暮しになれるんですから、安心ですね」と、にこやかに話される。

発熱している母であるが、医師のにこやかで涼やかな声に惚れ惚れしており、さらに熱が上がるのではないか?と思うほどだった。
医師のご家庭でも介護が必要な方がいるので「ひとごとではない」とも仰っていた。それもあって、かかりつけ医を引き受けて下さったのかもしれない…と思った。

処方箋を出してもらい帰宅し、ひと段落すると「うち、あの先生好き😍」と母が呟いた。

「あの先生イケメンだもんね~。良かったね~、良い先生に出会えて!」と返すと、母は嬉しそうに笑っているではないか!母って…イケメン好きだったんだ…と発覚した瞬間だった。

母は血圧や血液検査、レントゲン検査等でも何の異常もないので、病気に対しての薬は出ないものの、高齢者特有の倦怠感や疲労感、栄養不足になりがちなものに関して漢方薬やサプリメントで補うことになった。
あとは月に一度定期的に通院し、状態に変わりがないか?を診てもらうことにした。

母に「今日はクリニックに行くよ」と言うと、「先生に会えるの?ほんなら行こうか!」と、いつも嬉しそうだ。診察室に入ると血圧を測る先生の手を握って離さない。先生も苦笑いしながら対応してくれる様を見ると可笑しくて仕方ないが、そういう母の姿は可愛いな、とも思う。

この歳になってもイケメンを見分ける能力があるのだから、大したものだ!

240627



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2024年06月26日

1-21 ありがたいご縁2

高齢になって住む環境を変えるのはあまり良くない、という話を聞いたことがある。
それまで慣れ親しんでいた場所から離れると、不安になったり、外部との接触を断ったり、周囲の環境を理解出来ず認知症になることもあるからだ。

引越をしてから、家具や電化製品の配置なども変わったこともあり、母もなかなか慣れずにいた。
これまでの家には不便もあるが、勝手知ったる…なので、出来ることは自らやろうとしていたが、新しい家に来てからは、何でも私に聞かないと進まなくなったせいもあり、ますます動きが鈍くなったように感じた。

そんなある日、引越の疲れが出たせいか、珍しく母が発熱した。口には出さなくとも、環境が変わることへの不安が大きかったのだろう。

持病がないのでかかりつけ医もなかったが、これを機会に探すことにした。
近所にいくつか内科があるが、87歳の高齢者のそれになってくれそうなところはあるだろうか?リサーチの結果、近所に雰囲気の良さそうな内科があったので、車いすに母を乗せてクリニックへ行った。

受付で発熱していることを伝えると、車いすのまま入ってもらって構わないと言っていただき、そのまま診察室へ案内された。医師は母の様子を診て、胸の音を聞き、脈を測り、疲れが出ただけだろう、とのことで、高齢者に必要な元気の出る漢方薬と解熱剤を出してくれた。

医師にかかりつけ医になってくれるかどうか聞くと、快く引き受けてくれたので、それから母が施設に入るまでの間、月1回受診するようになった。

そして、この医師との出会いが、母にとってプラスに働いていくことを、この時は夢にも思っていなかった。

240626


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