Chapter2
2024年08月25日
2-56 Chapter2の振り返り
母は88歳で初めて介護認定を受けることになった。それまでは自宅介護に努めていたが、日々の暮らしに支障を来すようになっていたことから、在宅介護支援センターを訪ねた。
ケアマネさんが来宅し、家庭状況の聞き取り、母の体力、知力といったことを査定してもらった結果、要支援2の判定が下りたことから、体力維持のために運動療法を進められ、2年間リハビリフィットネスに通うことになった。
その過程では施設のお仲間とうまくコミュニケーションが取れずジレンマに陥ったり、行きたくないと駄々をこねたり、精神が不安的になることで発熱したりと、様々な関門があったものの、ほぼ休みなく通所出来たことで、88歳にして筋力の数値が上がったりもしたが、心身の衰えは日に日に増していくばかりだった。
未来において介護施設のお世話になることは火を見るよりも明らかだし、私もたまには自由な時間を持つ必要があることから、お試しショートステイを体験した後、徐々にショートステイで家を空ける機会も増えていった。
この期間には孫の結婚式に2回も参列出来たし、母自身最後となる、実家への帰省も叶い、幼馴染や親戚にも会えた。
コロナ禍は私の仕事がほぼ100%テレワークとなったため、自宅で介護することも出来た。母は運動施設に通いながら、その他は私とずっと一緒にいた。時には姉家族が遊びに来てくれることもあり、母にとっては楽しみの一つだったことだろう。
90歳になるとレビー小体型認知症であることが判明し、介護度も要支援2から一気に要介護3に上がった。それに伴い、それまで通所していた運動施設から、小規模多機能型居宅介護施設への入所へシフトしたが、将来のことを考え、同時に特別養護老人ホームの申込もすることとなった。
88歳~90歳の期間、認知症と診断される以前より、既に身体、認知の機能は衰えていたことから、食事、トイレ、入浴、就寝介助といった、生活全般に亘っての介護は日に日に負荷が増していき、介護する私の心身も疲弊しきって、熱中症に罹ったり、自転車で転倒し顔面強打といったケガも負った。長年に亘る睡眠負債で精神的にも追い込まれていたことを、母の主治医から指摘されたこともあった。
自宅介護の限界を迎えた時、民間施設でのショートステイを通して、私の負担も徐々に減っていくことにはなるものの、次へ向けての一手と取り組むこととなる。
目まぐるしい変化のあったChapter2を無事にクリアーし、明日より91歳~の日々Chapter3を綴っていく。

※母が育った川沿いの町並み
ケアマネさんが来宅し、家庭状況の聞き取り、母の体力、知力といったことを査定してもらった結果、要支援2の判定が下りたことから、体力維持のために運動療法を進められ、2年間リハビリフィットネスに通うことになった。
その過程では施設のお仲間とうまくコミュニケーションが取れずジレンマに陥ったり、行きたくないと駄々をこねたり、精神が不安的になることで発熱したりと、様々な関門があったものの、ほぼ休みなく通所出来たことで、88歳にして筋力の数値が上がったりもしたが、心身の衰えは日に日に増していくばかりだった。
未来において介護施設のお世話になることは火を見るよりも明らかだし、私もたまには自由な時間を持つ必要があることから、お試しショートステイを体験した後、徐々にショートステイで家を空ける機会も増えていった。
この期間には孫の結婚式に2回も参列出来たし、母自身最後となる、実家への帰省も叶い、幼馴染や親戚にも会えた。
コロナ禍は私の仕事がほぼ100%テレワークとなったため、自宅で介護することも出来た。母は運動施設に通いながら、その他は私とずっと一緒にいた。時には姉家族が遊びに来てくれることもあり、母にとっては楽しみの一つだったことだろう。
90歳になるとレビー小体型認知症であることが判明し、介護度も要支援2から一気に要介護3に上がった。それに伴い、それまで通所していた運動施設から、小規模多機能型居宅介護施設への入所へシフトしたが、将来のことを考え、同時に特別養護老人ホームの申込もすることとなった。
88歳~90歳の期間、認知症と診断される以前より、既に身体、認知の機能は衰えていたことから、食事、トイレ、入浴、就寝介助といった、生活全般に亘っての介護は日に日に負荷が増していき、介護する私の心身も疲弊しきって、熱中症に罹ったり、自転車で転倒し顔面強打といったケガも負った。長年に亘る睡眠負債で精神的にも追い込まれていたことを、母の主治医から指摘されたこともあった。
自宅介護の限界を迎えた時、民間施設でのショートステイを通して、私の負担も徐々に減っていくことにはなるものの、次へ向けての一手と取り組むこととなる。
目まぐるしい変化のあったChapter2を無事にクリアーし、明日より91歳~の日々Chapter3を綴っていく。

※母が育った川沿いの町並み
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2024年08月24日
2-55 2021年も無事に
2020年は母にとって最後の旅行、帰省、孫の結婚式といった嬉しいことが続いた年となったが、2021年になってからは少しずつ心身に変化が起き始め、春には認知症を発症した。
それがきっかけとなり介護度も要支援2から一気に要介護3の判定となり、それまで通所していた運動施設も卒業し、民間の居宅介護施設のお世話になることになった。
当初はデイサービスがメインだったが、1か月と経たぬうちにショートステイを利用することになり、その日数も長くなり、入所から3ヵ月で週に1度しか帰宅出来ない状況に変化していった。
母にとっては自分の思いも及ばぬうちに周囲の環境が変わり、戸惑うことの連続だっただろうし、家族と離れて暮らさねばならぬ状況も寂しかったかもしれない。それでも、家族のことを思い、たまには駄々をこねるが、基本的には施設でスタッフの皆さんのお世話になり、かわいがってもらえたことは、本当にありがたいことだった。
母を預ける先があったことで、私にとって新たな一手と言える整体師の資格を取得するという、想像だにしなかった展開になったことも大きな事柄だ。
本業はWEB制作でデジタルの世界を生業としているが、整体はその真逆のアナログな世界だ。とはいえ、デジタルとアナログを同時に仕事として出来ることは、私の脳みそ活性化、ひいてはボケ防止にもなる。
母の介護の最中はツライことも多々あったが、それを無駄にしない生き方、ステップアップに繋げられるかが大切だと痛感した1年となった。
母も私も共に2021年を生き切ることが出来た。

それがきっかけとなり介護度も要支援2から一気に要介護3の判定となり、それまで通所していた運動施設も卒業し、民間の居宅介護施設のお世話になることになった。
当初はデイサービスがメインだったが、1か月と経たぬうちにショートステイを利用することになり、その日数も長くなり、入所から3ヵ月で週に1度しか帰宅出来ない状況に変化していった。
母にとっては自分の思いも及ばぬうちに周囲の環境が変わり、戸惑うことの連続だっただろうし、家族と離れて暮らさねばならぬ状況も寂しかったかもしれない。それでも、家族のことを思い、たまには駄々をこねるが、基本的には施設でスタッフの皆さんのお世話になり、かわいがってもらえたことは、本当にありがたいことだった。
母を預ける先があったことで、私にとって新たな一手と言える整体師の資格を取得するという、想像だにしなかった展開になったことも大きな事柄だ。
本業はWEB制作でデジタルの世界を生業としているが、整体はその真逆のアナログな世界だ。とはいえ、デジタルとアナログを同時に仕事として出来ることは、私の脳みそ活性化、ひいてはボケ防止にもなる。
母の介護の最中はツライことも多々あったが、それを無駄にしない生き方、ステップアップに繋げられるかが大切だと痛感した1年となった。
母も私も共に2021年を生き切ることが出来た。

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2024年08月23日
2-54 次の一手
数年前より私が通う整体の先生より手ほどきを受けて、母への施術をしていた。
2020年末頃から、先生より「資格取得のためのスクールを開講しようと思うのだけど、やってみない?」とお誘いをいただいた。
客商売が苦手な私には務まらないと思い断っていたが、母への施術で改善していたことや、その時勤めていた職場が契約期間満了につき一旦2022年3月末で退職予定だったため、有給休暇がたんまり残っていたこともあり、それを勉強に充てようかな…と思い始め、迷いに迷った末、資格取得することにした。
スクール自体は2021年7月末~翌年1月末まで2週間に一度、土曜日の午後に座学と実地という内容で、資格取得を目指すものだった。土曜日なら母がショートステイに行っている時だったので都合も良かったし、母のいない時間も増えたので、スクールで学ぶことプラスαで自身に足りない知識を通信教育で補い、そちらも資格取得のため、日々勉強に追われることになった。
その間ももちろん本業は稼働しているので、週5勤務は変わらずに、上記がプラスされることになった。
2021年末から実際に店舗で働いてみたいと思い、施術方法は自由というチェーン店で面接と実地試験を受け、有給休暇を利用しアルバイトで週に2~3日の3時間ほど、整体の仕事にチャレンジした。ここでの目的は、店内の在り方、接客の仕方、施術といった一連の流れを学ぶためだった。
アルバイトは最初から3ヵ月だけやる!と決めていたので、2022年3月には辞めるが、スクールと通信教育で取得した資格を以て、2022年4月から個人事業主として整体の副業を始めることになる。それについてはまた先で書きたいと思うが、これも母の介護から派生した思わぬ産物だ。
だからといっていきなり整体師として生計が成り立つわけではなく、2022年4月からも引き続き本業を持ちつつ、副業として整体院を経営することになる。
今振り返ってみれば、これも次の一手だったな…と思う。
【関連記事】1-7 三つ子の魂

2020年末頃から、先生より「資格取得のためのスクールを開講しようと思うのだけど、やってみない?」とお誘いをいただいた。
客商売が苦手な私には務まらないと思い断っていたが、母への施術で改善していたことや、その時勤めていた職場が契約期間満了につき一旦2022年3月末で退職予定だったため、有給休暇がたんまり残っていたこともあり、それを勉強に充てようかな…と思い始め、迷いに迷った末、資格取得することにした。
スクール自体は2021年7月末~翌年1月末まで2週間に一度、土曜日の午後に座学と実地という内容で、資格取得を目指すものだった。土曜日なら母がショートステイに行っている時だったので都合も良かったし、母のいない時間も増えたので、スクールで学ぶことプラスαで自身に足りない知識を通信教育で補い、そちらも資格取得のため、日々勉強に追われることになった。
その間ももちろん本業は稼働しているので、週5勤務は変わらずに、上記がプラスされることになった。
2021年末から実際に店舗で働いてみたいと思い、施術方法は自由というチェーン店で面接と実地試験を受け、有給休暇を利用しアルバイトで週に2~3日の3時間ほど、整体の仕事にチャレンジした。ここでの目的は、店内の在り方、接客の仕方、施術といった一連の流れを学ぶためだった。
アルバイトは最初から3ヵ月だけやる!と決めていたので、2022年3月には辞めるが、スクールと通信教育で取得した資格を以て、2022年4月から個人事業主として整体の副業を始めることになる。それについてはまた先で書きたいと思うが、これも母の介護から派生した思わぬ産物だ。
だからといっていきなり整体師として生計が成り立つわけではなく、2022年4月からも引き続き本業を持ちつつ、副業として整体院を経営することになる。
今振り返ってみれば、これも次の一手だったな…と思う。
【関連記事】1-7 三つ子の魂

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2024年08月22日
2-53 介護ベッド
小規模多機能型居宅介護施設の施設長さんから、自宅に介護ベッドを置いてはどうか?と提案された。
というのも、この施設で暮らすようになってから、母はベッドで寝る生活になったが、自宅ではそれが無かったため、スムーズな寝起きと、介護する側の負担を軽くするために…ということだった。
この施設で介護サービスを受けてもまだ点数が余っているそうで、その分を介護ベッドのレンタルに充てられるという。
パンフレットを見せてもらうと、電動でベッドの高さやマットレスの角度も変えられるし、必要に応じて手すりや柵も付けられるようになっていた。さらにマットレスの硬さや色、高さなども選択出来た。
また、ベッドからの動線の間に置く手すりなども併せてレンタル出来るようになっていた。
介護ベッドなんて、普通に買ったらそれこそお高い代物だが、介護サービスの一環でレンタル出来るなら…というのと、実際にそういうベッドを試してみたいと思っていたので、契約することにした。
こうして我が家に2021年10月から介護ベッドが導入された。
週1日しか帰宅しない母だが、ベッドでの寝心地は良いようで、布団で寝ていた時よりも良く眠れているようだし、夜中のトイレでもスムーズに介助が出来るようになった。昼間でも眠たくなればすぐベッドに入れるので、そういう意味でも、寝床を敷かずに済む。
母にとっても私にとっても、介護ベッドの導入はメリットが大きかった。
母がいない時は私がベッドを使わせてもらっていたが、確かにこれは寝心地良いわ~と、自分が高齢になったらぜひともお世話になりたい逸品だと思った。
こうして、少しでも介護施設と自宅での過ごし方にズレが生じないよう、母が快適に過ごせる工夫を重ねていた。

※写真はイメージです。
というのも、この施設で暮らすようになってから、母はベッドで寝る生活になったが、自宅ではそれが無かったため、スムーズな寝起きと、介護する側の負担を軽くするために…ということだった。
この施設で介護サービスを受けてもまだ点数が余っているそうで、その分を介護ベッドのレンタルに充てられるという。
パンフレットを見せてもらうと、電動でベッドの高さやマットレスの角度も変えられるし、必要に応じて手すりや柵も付けられるようになっていた。さらにマットレスの硬さや色、高さなども選択出来た。
また、ベッドからの動線の間に置く手すりなども併せてレンタル出来るようになっていた。
介護ベッドなんて、普通に買ったらそれこそお高い代物だが、介護サービスの一環でレンタル出来るなら…というのと、実際にそういうベッドを試してみたいと思っていたので、契約することにした。
こうして我が家に2021年10月から介護ベッドが導入された。
週1日しか帰宅しない母だが、ベッドでの寝心地は良いようで、布団で寝ていた時よりも良く眠れているようだし、夜中のトイレでもスムーズに介助が出来るようになった。昼間でも眠たくなればすぐベッドに入れるので、そういう意味でも、寝床を敷かずに済む。
母にとっても私にとっても、介護ベッドの導入はメリットが大きかった。
母がいない時は私がベッドを使わせてもらっていたが、確かにこれは寝心地良いわ~と、自分が高齢になったらぜひともお世話になりたい逸品だと思った。
こうして、少しでも介護施設と自宅での過ごし方にズレが生じないよう、母が快適に過ごせる工夫を重ねていた。

※写真はイメージです。
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2024年08月21日
2-52 ホッとする自分2
母の認知症状による夜中のトイレ介助や徘徊により、週二日の帰宅時に私が眠れない状況が続いたため、兄姉、施設長とも相談し、2021年9月より母の帰宅が週に一度となった。
これまでも母が家に居る時は睡眠不足が続いていたが、数年に亘る睡眠負債により私も心身の疲れが抜けにくくなっていた。身体は空元気でいたとしても、精神が病んでいることにまでは気付かないものだ。
後に聞いた話だが、この頃一緒に旅行した友達が「あの頃のあなたは明らかにおかしかったよ!」と言われたことがある。「いつも前向きにガンガン進むのに、何かにつけ後ろ向きな発言をしていたのが気になった…と。今にして思えば介護の疲れだったんだろうね…」と。
確かにこの頃の私は昭和の歌謡曲ばかり聞いていて、新しい曲には見向きもせずというか、聞くことさえ億劫だったし、推しメンもいなかったし、楽しみがあまり無かったし、遊びにも行けてなかった…と。例え何かに興じることがあったとしても、帰れば介護が待っていると思うと、心からそれを楽しみ切ることは出来なかった。
「欲しがりません、勝つまでは!」ではないが「欲しがりません!介護が終わるまでは!」と言った心境というか、自身にそんな呪縛をかけていたのかもしれない。
身心の疲弊が悲鳴となりギブアップ!となったことから、母には申し訳ないが、週に一度の帰宅となるようにした。これで朝のイヤイヤ星人の出現も減るかと思うと、それだけで心が軽くなった。
母がいなくなってホッとする自分に少しの罪悪感を覚えつつも、この日々があったからこそ、未知の介護も経験出来たし、人生課題の一つである親の看取りもクリアー出来、一片の悔いも無し!と言い切れるのだろう。

これまでも母が家に居る時は睡眠不足が続いていたが、数年に亘る睡眠負債により私も心身の疲れが抜けにくくなっていた。身体は空元気でいたとしても、精神が病んでいることにまでは気付かないものだ。
後に聞いた話だが、この頃一緒に旅行した友達が「あの頃のあなたは明らかにおかしかったよ!」と言われたことがある。「いつも前向きにガンガン進むのに、何かにつけ後ろ向きな発言をしていたのが気になった…と。今にして思えば介護の疲れだったんだろうね…」と。
確かにこの頃の私は昭和の歌謡曲ばかり聞いていて、新しい曲には見向きもせずというか、聞くことさえ億劫だったし、推しメンもいなかったし、楽しみがあまり無かったし、遊びにも行けてなかった…と。例え何かに興じることがあったとしても、帰れば介護が待っていると思うと、心からそれを楽しみ切ることは出来なかった。
「欲しがりません、勝つまでは!」ではないが「欲しがりません!介護が終わるまでは!」と言った心境というか、自身にそんな呪縛をかけていたのかもしれない。
身心の疲弊が悲鳴となりギブアップ!となったことから、母には申し訳ないが、週に一度の帰宅となるようにした。これで朝のイヤイヤ星人の出現も減るかと思うと、それだけで心が軽くなった。
母がいなくなってホッとする自分に少しの罪悪感を覚えつつも、この日々があったからこそ、未知の介護も経験出来たし、人生課題の一つである親の看取りもクリアー出来、一片の悔いも無し!と言い切れるのだろう。

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