介護
2025年08月17日
奇跡の一枚4
奇跡の一枚3のつづき
今年はこのシンポジムとファンクラブミーティングで生の推しのご尊顔を拝することが出来た。
余談だが、シンポジウムでは会の始まる前に、私がトイレから出てきたタイミングと、推しがトイレから出てきたタイミングがドンピシャ!で、静かにその姿を拝むことが出来た!という、まさにミラクルな一瞬もあった。
親の介護から解放され、出会った推しから見えざるパワーをもらい、日々を元気に楽しく過ごせていることは、本当にありがたいことだと思っている。
もう一人の推しも、昨年は4回都心近郊のライブに行かせてもらった。
そのうち2回は推し自身が客席に降りてきて、通路を歩きながらハイタッチしてくれたり、ハートを作ってみせてくれたりと、まさにテンション爆上がりなサプライズがあったのだが、私はその2回とも推しとハイタッチよりちょっと長い手つなぎをすることが出来た。これって、通路席の特権ではあるものの、歌いながら歩く推しとタイミング良くタッチ出来るかどうかはまさに運だし、通路席に当たることもすごい確率だ。
そして、年末にはクリスマスライブもあったが、こちらはライブハウスのため座席数が少なく、ファンクラブで申し込んだものの落選。それでも諦めきれず、会場発売チケット売出にかけたところ、こちらも奇跡的にチケットを取ることが出来た。
そんなこんなで、介護が終わってから私は夢のような?推し活ライフを送っているのだが、これは介護を完走したご褒美だと思っている。
以前、介護の最中にどうにもこうにも苦しくてツライ時期に、ある方に相談をしたことがあった。
すると、その方が「親を看て不幸になった者はいない。むしろ、親を看た者は皆シアワセになっているよ」と。
その言葉を杖に頑張れたこともあり、今こうして推し活ライフを楽しめていることは、その証明なのだと思えてならない。
人には見えざる縁がある。それは親子、兄弟姉妹…といったことから、赤の他人である推しにまで広がるのだが、それとて気付かないだけで、出会うべくして出会った縁なのだ。
ましてや、今回のように推しと同じ画角のショットに納まり、新聞にまで掲載されるなんて…奇跡としか言いようのない事柄の連続だ。
世の中には苦難の最中にあり、逃げ出したい状況から逃げられずにいる方も多くいる。それでも、自身の使命、役割を全う出来れば、その先には必ずシアワセな瞬間が訪れるようになっているよ!!と、断言出来る。
目の前の課題をどう取り組んでいくのか?周囲から見た結果はどうであれ、自分のなかでやり切った!悔いはない!!と思えれば満点だ。
満点の先にあるのは、それを祝福するご褒美だけなのだから!!
「奇跡の一枚」おわり
今年はこのシンポジムとファンクラブミーティングで生の推しのご尊顔を拝することが出来た。
余談だが、シンポジウムでは会の始まる前に、私がトイレから出てきたタイミングと、推しがトイレから出てきたタイミングがドンピシャ!で、静かにその姿を拝むことが出来た!という、まさにミラクルな一瞬もあった。
親の介護から解放され、出会った推しから見えざるパワーをもらい、日々を元気に楽しく過ごせていることは、本当にありがたいことだと思っている。
もう一人の推しも、昨年は4回都心近郊のライブに行かせてもらった。
そのうち2回は推し自身が客席に降りてきて、通路を歩きながらハイタッチしてくれたり、ハートを作ってみせてくれたりと、まさにテンション爆上がりなサプライズがあったのだが、私はその2回とも推しとハイタッチよりちょっと長い手つなぎをすることが出来た。これって、通路席の特権ではあるものの、歌いながら歩く推しとタイミング良くタッチ出来るかどうかはまさに運だし、通路席に当たることもすごい確率だ。
そして、年末にはクリスマスライブもあったが、こちらはライブハウスのため座席数が少なく、ファンクラブで申し込んだものの落選。それでも諦めきれず、会場発売チケット売出にかけたところ、こちらも奇跡的にチケットを取ることが出来た。
そんなこんなで、介護が終わってから私は夢のような?推し活ライフを送っているのだが、これは介護を完走したご褒美だと思っている。
以前、介護の最中にどうにもこうにも苦しくてツライ時期に、ある方に相談をしたことがあった。
すると、その方が「親を看て不幸になった者はいない。むしろ、親を看た者は皆シアワセになっているよ」と。
その言葉を杖に頑張れたこともあり、今こうして推し活ライフを楽しめていることは、その証明なのだと思えてならない。
人には見えざる縁がある。それは親子、兄弟姉妹…といったことから、赤の他人である推しにまで広がるのだが、それとて気付かないだけで、出会うべくして出会った縁なのだ。
ましてや、今回のように推しと同じ画角のショットに納まり、新聞にまで掲載されるなんて…奇跡としか言いようのない事柄の連続だ。
世の中には苦難の最中にあり、逃げ出したい状況から逃げられずにいる方も多くいる。それでも、自身の使命、役割を全う出来れば、その先には必ずシアワセな瞬間が訪れるようになっているよ!!と、断言出来る。
目の前の課題をどう取り組んでいくのか?周囲から見た結果はどうであれ、自分のなかでやり切った!悔いはない!!と思えれば満点だ。
満点の先にあるのは、それを祝福するご褒美だけなのだから!!
「奇跡の一枚」おわり
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2024年11月01日
5-1 ブログを書けるまで1
今日からこのブログを書くことになった経緯や、その原動力との出会い、今後の展望について書いていく。
両親の介護は16年間に亘った。最初は緩やかな介助くらいであったが、徐々にそのハードルは上がっていき、6年目に父が慢性腎不全で亡くなった後、母の介護が始まった。
母との介護生活10年間のうち、介護のメインとも言うべき、下(しも)の世話に携わったのは3年くらいだろうか。それとて徐々に対応回数が増えていくことになる。
それ以前は、身体的なサポートもそうだが、どちらかといえばメンタル面のサポートのほうがウエイトを占めていたように思う。
母は子供に対する依存心が強いので、放置するとどんどん愛情過多になっていく。そこをタイミングを見て、ひとりの人間として精神的に自立することを促す話をずっとしていた。
介護において孤独になる原因のひとつに、親子共依存がある。
私は昔から人とつるむのが苦手なので、親との関係においても同様であるため、母が依存してこないよう、時には厳しく突き放すこともあった。そのたびに母は「私を捨てるのか!」と泣くのだが、それを振り払わなければ、親子共倒れになってしまう。
そんなヘビーな一面がありつつも、老いていく身の上に不安を感じる母が少しでも楽になるよう、日々の粗相もすべて笑いに昇華していくことを心がけていた。
親にしてみれば、子供に下の世話をしてもらうこと自体屈辱だろう。それでも、世話にならざるを得ない現実なのだから、それを受け入れてもらえるよう、それが自然な形であることを母が納得するまで話し続けた。
そんな日々のことを知っている方から「それを書いて、世に出したほうが良いよ」と言われた。その方は会うたびにずっと言い続けてくれた。
介護の世界は新分野だ。私と同じように介護や親子関係に悩んでいる方もいるだろうし、実際、自分の周囲でもそういう話がちらほらあったこともあり、いつかは着手せねば…と思っていた。
それもあって、日々の出来事を手帳にメモしたり、施設や病院からの書類等は整理し保存してあった。
だが、それをどういう形で世に出すのか?母が亡くなってからずっと考えてはいたものの、なかなかまとまらずにいた。

両親の介護は16年間に亘った。最初は緩やかな介助くらいであったが、徐々にそのハードルは上がっていき、6年目に父が慢性腎不全で亡くなった後、母の介護が始まった。
母との介護生活10年間のうち、介護のメインとも言うべき、下(しも)の世話に携わったのは3年くらいだろうか。それとて徐々に対応回数が増えていくことになる。
それ以前は、身体的なサポートもそうだが、どちらかといえばメンタル面のサポートのほうがウエイトを占めていたように思う。
母は子供に対する依存心が強いので、放置するとどんどん愛情過多になっていく。そこをタイミングを見て、ひとりの人間として精神的に自立することを促す話をずっとしていた。
介護において孤独になる原因のひとつに、親子共依存がある。
私は昔から人とつるむのが苦手なので、親との関係においても同様であるため、母が依存してこないよう、時には厳しく突き放すこともあった。そのたびに母は「私を捨てるのか!」と泣くのだが、それを振り払わなければ、親子共倒れになってしまう。
そんなヘビーな一面がありつつも、老いていく身の上に不安を感じる母が少しでも楽になるよう、日々の粗相もすべて笑いに昇華していくことを心がけていた。
親にしてみれば、子供に下の世話をしてもらうこと自体屈辱だろう。それでも、世話にならざるを得ない現実なのだから、それを受け入れてもらえるよう、それが自然な形であることを母が納得するまで話し続けた。
そんな日々のことを知っている方から「それを書いて、世に出したほうが良いよ」と言われた。その方は会うたびにずっと言い続けてくれた。
介護の世界は新分野だ。私と同じように介護や親子関係に悩んでいる方もいるだろうし、実際、自分の周囲でもそういう話がちらほらあったこともあり、いつかは着手せねば…と思っていた。
それもあって、日々の出来事を手帳にメモしたり、施設や病院からの書類等は整理し保存してあった。
だが、それをどういう形で世に出すのか?母が亡くなってからずっと考えてはいたものの、なかなかまとまらずにいた。

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2024年09月04日
3-10 久々の発熱
2022年5月28日に引っ越しをし、新居にて整体院を営業開始することになった。
4月にバーチャルオフィスの住所を契約したばかりではあったものの、改めて住所変更手続きを税務署宛て申請し、無事に受理された。
引っ越した後の荷物の整理や片付けもあるうえ、日々勤める本業もあるので、副業である整体の仕事は知り合いだけくらいの範囲に留めておきながら、生活リズムを整えることに注力した。
6月は忙しさに追われていたためか何とかやるべきことを淡々とクリアーしていき、漸く7月に入って落ち着いて来た感があった。
ホッとしたためか?7月中旬に突然左肩が上がらなくなり、発熱まで伴った。
私は昔から首が弱く、疲れやストレスが溜まると、ぎっくり腰ならぬぎっくり首になり易いので、少しでも首に違和感を覚えたら無理をしないように努めていたが、引っ越しと言う名の肉体労働や精神的ストレスは相当なものだったらしく、今回は首ではなく、左肩にピンポイントで痛みが襲ってきた。
左肩だけを酷使した憶えはないものの、引っ越し用の段ボールを一人で何箱も積み上げたりしていたので、それが要因ではないかと思い当たった。肩周囲の炎症を抑えるため冷やしつつ、仕事も休めないのでテレワークで就業し続けた。念のためコロナ検査もしたが、陰性だった。
日々の勤めもありつつ、母の特養入所から怒涛の展開が続き、その対応に追われていたので、とうとう身体が悲鳴を上げたのだろう。我ながら、こうならないと動きが止められない学習能力の無さに反省しきりだ。
母が特養に入ってくれていて本当に良かったと思った瞬間だった。

4月にバーチャルオフィスの住所を契約したばかりではあったものの、改めて住所変更手続きを税務署宛て申請し、無事に受理された。
引っ越した後の荷物の整理や片付けもあるうえ、日々勤める本業もあるので、副業である整体の仕事は知り合いだけくらいの範囲に留めておきながら、生活リズムを整えることに注力した。
6月は忙しさに追われていたためか何とかやるべきことを淡々とクリアーしていき、漸く7月に入って落ち着いて来た感があった。
ホッとしたためか?7月中旬に突然左肩が上がらなくなり、発熱まで伴った。
私は昔から首が弱く、疲れやストレスが溜まると、ぎっくり腰ならぬぎっくり首になり易いので、少しでも首に違和感を覚えたら無理をしないように努めていたが、引っ越しと言う名の肉体労働や精神的ストレスは相当なものだったらしく、今回は首ではなく、左肩にピンポイントで痛みが襲ってきた。
左肩だけを酷使した憶えはないものの、引っ越し用の段ボールを一人で何箱も積み上げたりしていたので、それが要因ではないかと思い当たった。肩周囲の炎症を抑えるため冷やしつつ、仕事も休めないのでテレワークで就業し続けた。念のためコロナ検査もしたが、陰性だった。
日々の勤めもありつつ、母の特養入所から怒涛の展開が続き、その対応に追われていたので、とうとう身体が悲鳴を上げたのだろう。我ながら、こうならないと動きが止められない学習能力の無さに反省しきりだ。
母が特養に入ってくれていて本当に良かったと思った瞬間だった。

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2024年09月03日
3-9 娘も新たな一歩
2022年5月初旬に内見した物件の引っ越しが、5月28日に決まった。
それに伴い、家財道具等々の選別を行うことになった。殆どの家具はそのまま持参することになったが、食器や衣類、布団といった、おそらくもう使用しないであろうモノを、欲しい人には上げて、引き取り先が無いものは処分することにした。
その中で長年手元に置いていたものとして、ワープロと英文タイプがある。
これらは学生時代からのものだが、使うことはもうない。見た目はキレイだが持って行ったところで劣化して捨てるのを待つだけになる。それならば、粗大ごみに出して、欲しい方に引き取ってもらったほうが良いと思い処分することにした。
これらは親が買ってくれたものなので、心痛むことではあるものの、いずれは朽ちてしまう…そう自分に言い聞かせ手放すことにした。
母の衣類も明らかに着用しないと思われるものも思い切って処分した。
それでも相変わらず荷物は多く、段ボール箱に詰めると50箱を越えた。4年前に引っ越してきた時とほぼ同じ量の荷物のまま引っ越すことになり、日々力仕事が尽きることは無かった。
施設にいる母にも引っ越すことを報告したものの、もう自分が家に帰ることはないので、ピン!と来ない様子だったが、新しい家で整体院を開業出来ることを伝えると、とても嬉しそうに笑っていた。そういえば、以前整体の資格取得したことを話した時にも「早くやれば良いと、ずっと思っていた」と言われたことを思い出した。
家の間取りが変わることにより、新たに買い替える必要のあるものなどもネットで発注し、引越日に到着するよう諸々手配した。その他にも役所への届け出、マイナンバーカード、免許証、光熱費関連の住所変更手続き等々、やることはてんこ盛りだった。その殆どはネット上で出来るので、昔に比べたら随分楽になったものだ。使える叡智はフルに活用しつつ、粛々と準備を進めた。
引越準備から当日にかけて、姉夫婦にも手伝ってもらい、何とか1日で引っ越しを終えることが出来た。ちなみに引っ越し先は数キロしか離れておらず、慣れ親しんだ街から出ることはないので、母の面会や外出にも支障を来すことはない。
こうして私も新たな一歩を踏み出すことになった。

それに伴い、家財道具等々の選別を行うことになった。殆どの家具はそのまま持参することになったが、食器や衣類、布団といった、おそらくもう使用しないであろうモノを、欲しい人には上げて、引き取り先が無いものは処分することにした。
その中で長年手元に置いていたものとして、ワープロと英文タイプがある。
これらは学生時代からのものだが、使うことはもうない。見た目はキレイだが持って行ったところで劣化して捨てるのを待つだけになる。それならば、粗大ごみに出して、欲しい方に引き取ってもらったほうが良いと思い処分することにした。
これらは親が買ってくれたものなので、心痛むことではあるものの、いずれは朽ちてしまう…そう自分に言い聞かせ手放すことにした。
母の衣類も明らかに着用しないと思われるものも思い切って処分した。
それでも相変わらず荷物は多く、段ボール箱に詰めると50箱を越えた。4年前に引っ越してきた時とほぼ同じ量の荷物のまま引っ越すことになり、日々力仕事が尽きることは無かった。
施設にいる母にも引っ越すことを報告したものの、もう自分が家に帰ることはないので、ピン!と来ない様子だったが、新しい家で整体院を開業出来ることを伝えると、とても嬉しそうに笑っていた。そういえば、以前整体の資格取得したことを話した時にも「早くやれば良いと、ずっと思っていた」と言われたことを思い出した。
家の間取りが変わることにより、新たに買い替える必要のあるものなどもネットで発注し、引越日に到着するよう諸々手配した。その他にも役所への届け出、マイナンバーカード、免許証、光熱費関連の住所変更手続き等々、やることはてんこ盛りだった。その殆どはネット上で出来るので、昔に比べたら随分楽になったものだ。使える叡智はフルに活用しつつ、粛々と準備を進めた。
引越準備から当日にかけて、姉夫婦にも手伝ってもらい、何とか1日で引っ越しを終えることが出来た。ちなみに引っ越し先は数キロしか離れておらず、慣れ親しんだ街から出ることはないので、母の面会や外出にも支障を来すことはない。
こうして私も新たな一歩を踏み出すことになった。

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2024年09月01日
3-7 新たな居場所へ
小規模多機能型居宅介護施設を2022年4月29日を最終日とし、4月30日は自宅で最後の時を過ごし、5月1日から特別養護老人ホームに入所することになった。
自宅では母の好きなあの!美味しいケーキを(おそらくもうこのケーキを食べることはない)、最後の晩餐には中華料理を、といってもお店のものだが、いずれも母の好きなものを用意し、せめてもの餞?とさせてもらった。
5月1日、入所するにあたり、必要書類等を揃え施設に提出し、着替えや洗面道具、他必要な物などを一式揃え、姉夫妻と共に母を特養へ連れて行った。
コロナ禍もあり、面会は月に一度しか出来ないし、それも先着順で1日2組まで15分と決められているので、これからは毎月会えない可能性もある。そこで、通院という名の外出をさせてもらえないか?と施設に交渉し、月に一度だけ外出させてもらえることになった。
母にもそのことを伝え、特養に入所することをしぶしぶ?了承してもらった。
面会室で看護師から健康についての問診があり、いよいよ施設へ引き渡しとなった時に、皆で写真撮りますか?と施設側から提案いただいたので撮ってもらった。母だけが寂しそうな顔で写っており、姉夫妻と私は笑顔だった。
看護師が母の車いすを押し居室へ向かう姿を見送ったが、振り返ることはなく消えていった。
母の心中を思うとこちらも胸が痛むものの、これ以上自宅での介護は出来ないのが現実だし、無理を重ねたところで、誰も幸せにはなれない。
母の寂し気な姿に後ろ髪を引かれながらも、ここまで無事にやり切れたことに対する達成感のほうが強い私だった。

自宅では母の好きなあの!美味しいケーキを(おそらくもうこのケーキを食べることはない)、最後の晩餐には中華料理を、といってもお店のものだが、いずれも母の好きなものを用意し、せめてもの餞?とさせてもらった。
5月1日、入所するにあたり、必要書類等を揃え施設に提出し、着替えや洗面道具、他必要な物などを一式揃え、姉夫妻と共に母を特養へ連れて行った。
コロナ禍もあり、面会は月に一度しか出来ないし、それも先着順で1日2組まで15分と決められているので、これからは毎月会えない可能性もある。そこで、通院という名の外出をさせてもらえないか?と施設に交渉し、月に一度だけ外出させてもらえることになった。
母にもそのことを伝え、特養に入所することをしぶしぶ?了承してもらった。
面会室で看護師から健康についての問診があり、いよいよ施設へ引き渡しとなった時に、皆で写真撮りますか?と施設側から提案いただいたので撮ってもらった。母だけが寂しそうな顔で写っており、姉夫妻と私は笑顔だった。
看護師が母の車いすを押し居室へ向かう姿を見送ったが、振り返ることはなく消えていった。
母の心中を思うとこちらも胸が痛むものの、これ以上自宅での介護は出来ないのが現実だし、無理を重ねたところで、誰も幸せにはなれない。
母の寂し気な姿に後ろ髪を引かれながらも、ここまで無事にやり切れたことに対する達成感のほうが強い私だった。

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