共倒れ
2024年11月01日
5-1 ブログを書けるまで1
今日からこのブログを書くことになった経緯や、その原動力との出会い、今後の展望について書いていく。
両親の介護は16年間に亘った。最初は緩やかな介助くらいであったが、徐々にそのハードルは上がっていき、6年目に父が慢性腎不全で亡くなった後、母の介護が始まった。
母との介護生活10年間のうち、介護のメインとも言うべき、下(しも)の世話に携わったのは3年くらいだろうか。それとて徐々に対応回数が増えていくことになる。
それ以前は、身体的なサポートもそうだが、どちらかといえばメンタル面のサポートのほうがウエイトを占めていたように思う。
母は子供に対する依存心が強いので、放置するとどんどん愛情過多になっていく。そこをタイミングを見て、ひとりの人間として精神的に自立することを促す話をずっとしていた。
介護において孤独になる原因のひとつに、親子共依存がある。
私は昔から人とつるむのが苦手なので、親との関係においても同様であるため、母が依存してこないよう、時には厳しく突き放すこともあった。そのたびに母は「私を捨てるのか!」と泣くのだが、それを振り払わなければ、親子共倒れになってしまう。
そんなヘビーな一面がありつつも、老いていく身の上に不安を感じる母が少しでも楽になるよう、日々の粗相もすべて笑いに昇華していくことを心がけていた。
親にしてみれば、子供に下の世話をしてもらうこと自体屈辱だろう。それでも、世話にならざるを得ない現実なのだから、それを受け入れてもらえるよう、それが自然な形であることを母が納得するまで話し続けた。
そんな日々のことを知っている方から「それを書いて、世に出したほうが良いよ」と言われた。その方は会うたびにずっと言い続けてくれた。
介護の世界は新分野だ。私と同じように介護や親子関係に悩んでいる方もいるだろうし、実際、自分の周囲でもそういう話がちらほらあったこともあり、いつかは着手せねば…と思っていた。
それもあって、日々の出来事を手帳にメモしたり、施設や病院からの書類等は整理し保存してあった。
だが、それをどういう形で世に出すのか?母が亡くなってからずっと考えてはいたものの、なかなかまとまらずにいた。

両親の介護は16年間に亘った。最初は緩やかな介助くらいであったが、徐々にそのハードルは上がっていき、6年目に父が慢性腎不全で亡くなった後、母の介護が始まった。
母との介護生活10年間のうち、介護のメインとも言うべき、下(しも)の世話に携わったのは3年くらいだろうか。それとて徐々に対応回数が増えていくことになる。
それ以前は、身体的なサポートもそうだが、どちらかといえばメンタル面のサポートのほうがウエイトを占めていたように思う。
母は子供に対する依存心が強いので、放置するとどんどん愛情過多になっていく。そこをタイミングを見て、ひとりの人間として精神的に自立することを促す話をずっとしていた。
介護において孤独になる原因のひとつに、親子共依存がある。
私は昔から人とつるむのが苦手なので、親との関係においても同様であるため、母が依存してこないよう、時には厳しく突き放すこともあった。そのたびに母は「私を捨てるのか!」と泣くのだが、それを振り払わなければ、親子共倒れになってしまう。
そんなヘビーな一面がありつつも、老いていく身の上に不安を感じる母が少しでも楽になるよう、日々の粗相もすべて笑いに昇華していくことを心がけていた。
親にしてみれば、子供に下の世話をしてもらうこと自体屈辱だろう。それでも、世話にならざるを得ない現実なのだから、それを受け入れてもらえるよう、それが自然な形であることを母が納得するまで話し続けた。
そんな日々のことを知っている方から「それを書いて、世に出したほうが良いよ」と言われた。その方は会うたびにずっと言い続けてくれた。
介護の世界は新分野だ。私と同じように介護や親子関係に悩んでいる方もいるだろうし、実際、自分の周囲でもそういう話がちらほらあったこともあり、いつかは着手せねば…と思っていた。
それもあって、日々の出来事を手帳にメモしたり、施設や病院からの書類等は整理し保存してあった。
だが、それをどういう形で世に出すのか?母が亡くなってからずっと考えてはいたものの、なかなかまとまらずにいた。

starfield_152 at 07:00|Permalink│Comments(1)