区切り
2024年10月30日
4-11 葬儀後6
母が2024年1月1日の夕刻に亡くなり、7日に葬儀と十日祭を併せて、二十日祭、三十日祭を1月中に、四十日祭、五十日祭は2月にそれぞれ旬日祭が仕えられた。
3月は母の誕生月で、93歳を迎えることは出来なかったが、その直前に母の願いで建てた墓に遺骨を納めることが出来た。この際にも、教会長にお出ましいただき、青空が広がる小高い山の上にある霊園にて、納骨の儀が執り行われた。
この墓には、母方の両親(私から見ると祖父母)、妹、弟達も埋葬されている。
母は6人姉妹弟だが、そのうち3人は幼いうちに腸チフスで早逝、姉は母が70代の頃に、妹の一人は母が30代の頃にそれぞれ病気で亡くなっている。
母だけが病気も事故等もなく、寿命を全うしたことになる。
母は幼い頃、妹弟達が次々と腸チフスに感染したことで、親戚の家に預けられ、寂しい子供時代を過ごしたと、何度か聞いたことがある。その影響からか、依存症的な感情を持ち合わせていたので、家族に対する愛情過多な面もあり、私としては少々辟易することも多分にあった。
それでも母なりに懸命に日々と向き合い、結婚して3人の子供を授かり、多くの困難と取り組まざるを得ない状況を潜り抜け、時には入院するようなこともあったものの、おおごとになることもなく、92歳まで生かされてきた。
そんな母のことを思えば、亡骸になった後に出来る親孝行といえば、生前の願いを叶えてあげることくらいだろう。
そういう意味で、これもまた、母の願い通りとなった。
姉夫妻、姉家の子供達や孫達も参列し、家族で母の納骨を見届けることが出来た。
母から見たらひ孫にあたる子らも、一人一人墓前に花を手向け、ひいばあちゃんの冥福を祈った。
納骨でようやく一区切りとなる。明日はChapter4を振り返る。
【関連記事】4-6 葬儀後1/4-7 葬儀後2/4-8 葬儀後3/4-9 葬儀後4/4-10 葬儀後5

3月は母の誕生月で、93歳を迎えることは出来なかったが、その直前に母の願いで建てた墓に遺骨を納めることが出来た。この際にも、教会長にお出ましいただき、青空が広がる小高い山の上にある霊園にて、納骨の儀が執り行われた。
この墓には、母方の両親(私から見ると祖父母)、妹、弟達も埋葬されている。
母は6人姉妹弟だが、そのうち3人は幼いうちに腸チフスで早逝、姉は母が70代の頃に、妹の一人は母が30代の頃にそれぞれ病気で亡くなっている。
母だけが病気も事故等もなく、寿命を全うしたことになる。
母は幼い頃、妹弟達が次々と腸チフスに感染したことで、親戚の家に預けられ、寂しい子供時代を過ごしたと、何度か聞いたことがある。その影響からか、依存症的な感情を持ち合わせていたので、家族に対する愛情過多な面もあり、私としては少々辟易することも多分にあった。
それでも母なりに懸命に日々と向き合い、結婚して3人の子供を授かり、多くの困難と取り組まざるを得ない状況を潜り抜け、時には入院するようなこともあったものの、おおごとになることもなく、92歳まで生かされてきた。
そんな母のことを思えば、亡骸になった後に出来る親孝行といえば、生前の願いを叶えてあげることくらいだろう。
そういう意味で、これもまた、母の願い通りとなった。
姉夫妻、姉家の子供達や孫達も参列し、家族で母の納骨を見届けることが出来た。
母から見たらひ孫にあたる子らも、一人一人墓前に花を手向け、ひいばあちゃんの冥福を祈った。
納骨でようやく一区切りとなる。明日はChapter4を振り返る。
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starfield_152 at 07:00|Permalink│Comments(0)