墓参
2024年10月17日
3-53 最後の時8
2023年12月29日の午前中、私は母の願いで建てた墓に参拝した。
我が家から電車を乗り継ぎ、1時間ちょっとかかる場所にある。
この墓は平成10(1998)年に建てたもので、九州にあった墓仕舞いをした後、先祖の遺骨をこの墓に移葬し、両親もここに入ることを願っていた。
間もなく母もここの住人になることを念頭に置きつつ、2023年も無事に過ごせたことを先祖に感謝し、新しい年を気持ち良く迎えてもらうために、墓をキレイに磨き、美しい花を飾り、美味しいものを供え、母の穏やかな旅立ちと、今後の家族の立ち行きを祈らせてもらった。
その足で午後から母の面会に行った。
昨日、姉から送られてきたどす黒い顔をした母の写真が頭にあったので、少々ビビリモードで病室に入ったが、この日はさほど顔色も悪くなく、発熱しているせいでアイスノンを頭に敷いていた。
意識はなく目を覚ますこともなかったが、手を握るとギュッと握り返してくる。まるで赤ん坊の原始反射のようだった。手を離すと、何やらムニャムニャ寝言を発する。これって、やっぱり赤ちゃんの反応だわ…と。
赤ちゃんとして産まれて、赤ちゃんになって還っていく。まさに理想的な最期だ。
点滴を見るとそれはブドウ糖であり、母はこれだけで生かされていた。
30日は私が他の仕事で手が空かないので、姉夫妻と孫、ひ孫達が面会に行ってくれた。面会は2人ずつしか部屋に入れないので、2回に分けて面会をしたと姉から報告があった。
その時も母はずっと眠ったままだった。
【関連記事】3-46 施設での様子20+最後の時1/3-47 最後の時2/3-48 最後の時3/3-49 最後の時4/3-50 最後の時5/3-51 最後の時6+お礼の気持ち/3-52 最後の時7

我が家から電車を乗り継ぎ、1時間ちょっとかかる場所にある。
この墓は平成10(1998)年に建てたもので、九州にあった墓仕舞いをした後、先祖の遺骨をこの墓に移葬し、両親もここに入ることを願っていた。
間もなく母もここの住人になることを念頭に置きつつ、2023年も無事に過ごせたことを先祖に感謝し、新しい年を気持ち良く迎えてもらうために、墓をキレイに磨き、美しい花を飾り、美味しいものを供え、母の穏やかな旅立ちと、今後の家族の立ち行きを祈らせてもらった。
その足で午後から母の面会に行った。
昨日、姉から送られてきたどす黒い顔をした母の写真が頭にあったので、少々ビビリモードで病室に入ったが、この日はさほど顔色も悪くなく、発熱しているせいでアイスノンを頭に敷いていた。
意識はなく目を覚ますこともなかったが、手を握るとギュッと握り返してくる。まるで赤ん坊の原始反射のようだった。手を離すと、何やらムニャムニャ寝言を発する。これって、やっぱり赤ちゃんの反応だわ…と。
赤ちゃんとして産まれて、赤ちゃんになって還っていく。まさに理想的な最期だ。
点滴を見るとそれはブドウ糖であり、母はこれだけで生かされていた。
30日は私が他の仕事で手が空かないので、姉夫妻と孫、ひ孫達が面会に行ってくれた。面会は2人ずつしか部屋に入れないので、2回に分けて面会をしたと姉から報告があった。
その時も母はずっと眠ったままだった。
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starfield_152 at 07:00|Permalink│Comments(0)