斎場

2024年10月23日

4-4 葬儀3

2024年1月7日、母の葬儀が10時より斎場にて行われた。

この日の受付は、姉家の長男(私から見たら甥)と、その娘(中3)が担当してくれた。
赤ん坊の時から見ていた甥が、今や父となり、その娘は母にとって初ひ孫でもある。
そんな二人がきちんと受付の対応をしている様を見て、私も嬉しかったし、何より母が喜んでいるだろうと思った。

以下、式次第。
①参向(祭主 入室)
②会葬者一同にて拝礼(一礼、偲び手(音を立てない)四拍手、一礼)後、神様への御礼の拝詞を唱える。
③祭主 告詞(故人の御霊に対し、今からご葬儀をお仕えすることを告げる)を奏上。
④祭主 霊標奉斎(故人の御霊としてのお名前を掲げる)
⑤祭主 祭詞奏上(生涯お世話になった天地のお働きに対し、故人に代わり、生前の御礼を申し上げ、同じくお働きを受け続けられるようお願いを申し上げる。続いて故人に対し、死を悼み、御姿にお別れを申し上げる)
⑥祭主 献花
⑦遺族、親族、会葬者 献花
⑧一同 新しく御霊となった故人への拝詞を唱える。
⑨一同 拝礼(一礼、偲び手(音を立てない)四拍手、一礼)
⑩退下(祭主 退出)

以上で一般で言うところの告別式が終了した。
この神道での葬儀は、母が生前より願っていたことであり、そのためにも九州より墓を移送し、改式をした経緯がある。母の長年の祈りが結実した瞬間だ。

その後、出棺のため、棺に会葬者全員で花や供え物を手向け、長男(喪主)である兄が会葬の御礼挨拶を述べ、火葬場へ移動することになった。

【関連記事】4-2 葬儀14-3 葬儀2

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※写真は葬儀で参列者が手向けたカラフルなカーネーション

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2024年10月22日

4-3 葬儀2

葬儀は2024年1月7日に一日葬として執り行うことになった。

九州に住む兄夫婦も1月6日の昼過ぎに上京した。

その夕方に、母の亡骸を斎場に移動することになったため、私達家族も会場へ向かった。
祭壇の設えが施されるなか、母の亡骸と対面した。納棺師により体を清拭後、キレイに化粧が施され、旅立ちの衣装に着替え、棺に収まっていた顔は、穏やかに微笑んでいた。

母は花が大好きだったので、旅立ちの衣装には桜の刺繍が施されたもの、棺には桔梗の柄が描かれたものを選んだ。元も子もない言い方だが、火葬してしまえば全て灰になってしまうから、スタンダードなもので良いという意見もあるかもしれないが、最後だからこそ、母が気持ち良く旅立てるように、好きなものに囲ませてあげたい、という親心ならぬ子供心から、姉と相談し決めた。

美しい花々をふんだんに飾ってもらったおかげで、麗しい祭壇に仕上がった。
私の職場からも立派な供花が届き驚いた。最初は職場からの香典等は全て辞退したいと思っていたが、上司から手配していると話を聞いたこともあり、甘んじて頂戴することにした。

最近の主流として、職場などでは香典を断るケースが増えている。上司や同僚等に余計な気を遣わせないこともあるが、返礼等のこともあるので、お互いそこは…という風潮になっている。

だが、組織としての供花は、祭壇に眠る御霊(みたま)を慰めるためでもあり、私を育ててくれた亡き親への感謝の意ではないか?ということに思い至った。

私が子供の頃、母が褒めてくれたことは数えるほどしかなく、万事において厳しい親だった。
そんな母が「この組織で働いていることを喜んでいた」という話を知人らから聞かされた時、職場から供花があったことは、御霊(みたま)としても嬉しいことであったろうし、子育ての成果がそこに現れていた、とも解釈出来る。

人の生きざまはこういう場面においても証明されるのだな…と思った出来事だった。

【関連記事】4-2 葬儀1

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※写真はイメージです。

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2024年10月21日

4-2 葬儀1

2024年1月1日(月)18:10、母の死亡が医師により確定された。

母がこうなることは予測しており、事前に葬儀屋には相談をしていたので、連絡をするとすぐに病院に迎えに来てくれ、葬儀までは亡骸を預かってもらえることになった。

葬儀場は1月3日まではどこも休みなので、葬儀は4日以降となるが、希望の斎場や火葬場が空いているかどうかは1月4日にならないと分からない。

我が家が信仰する教会の先生(教会長)に祭主を務めていただくので、教会長、葬儀屋と葬儀の日取りや段取りについて、1月2日の午後に教会で打ち合わせをした。

その際、神道の祭壇にすること、お供え物、花、棺、旅立ちの衣装、亡骸の清拭…等といった細々した事柄もひとつひとつ決めていった。その際重視したのは、母が喜ぶであろう形だ。
神道では通常榊を供えるが、母は花が好きだったので、それをカラフルな花に変え、参列してくださった方に手向けてもらうことにした。

葬儀場等の正式な回答は4日以降になるものの、我が家の近所の斎場と火葬場を仮押さえすることとなった。
私の職場での忌引き休暇が、死亡の日より7日までということもあり、出来れば7日までに葬儀が出来ると助かるな…と思っていたところ、ありがたいことに1月7日(日)に葬儀、火葬の段取りが付いた。

それに向けて、葬儀で必要な母の年表(祭主が神様に人生の御礼を申し上げるため、母の略歴を祝詞(のりと)にして奏上する)作成、家族構成表、葬儀内容に必要な書類の作成、葬儀に参列する方の手配、葬儀場、火葬場で必要な書類や移動手段の手配、九州の兄夫婦の上京の手配…等々、やることはてんこ盛りだった。

人の最期は人それぞれだが、母の場合は天寿を全う、大往生なので、悲しむというより、ある種の祝いだ。母の人生を褒め、讃え、見送る儀式なので、盛大に賑やかに見送ってあげたいと思った。

241021


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